fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

とあるくだらないできごと

 中華鍋が大きなガスコンロやおたまにあたる金属音が響くなかで,およそその場には馴染まない会話が聞こえてくる。二人の女性が,「嫌なあのクソデブ」,同じ会社の上司のことだろうが,をいかにしてなぶり殺すか,あれやこれやアイデアを交わしている。

 ペーパーナイフで脅して,裸にひんむいて,ネクタイと靴下だけにしてやる。笑い。背中に黒のマーカーで住所と名前を書いて,そのあとでマーカーを尻に突っ込んでやる。笑い。騒ぐと面倒だから,猿ぐつわの代わりに自分の脱いだ汚いブリーフを口に詰め込んでおかないと。笑い。

「だけど,そもそもあいつの体に触るのも嫌なのに,どうする。ブリーフなんか無理ムリ。ブーメランとか履いてたら,その時点でネタになるんですけど。」一人の女性がその場面を想像したのか,さも面白そうに笑った。

 二つ目の餃子を行儀悪くタレのなかで崩しながら,仕入先の銘柄が印刷してあるグラスに三杯目のビールを注ぐ。女たちの話の続きに耳を傾けるか,店のカウンター奥で中継されているニュースを観るか,ぼんやり考えていた。

 大手ラーメンチェーンの会長が何者かに惨殺されたとのことで,いつもならタバコをくわえて視野の端でテレビを見ている店主が,なにに使うのか,中華包丁をしっかり離さず画面に喰いいっていた。

 というか,動画撮って晒すのは絶対ね。自分のゲロのなかにしずめといて,ゆっくり死んでいくのをサイトで流しとくの。なんか映画でなかったっけ,一人一人が物語になぞらえて猟奇的に殺されるやつ。あんな感じになると盛り上がると思うけど。白い襟がすっとしたシャツに,えんどう豆色のカーディガンを合わせた方が,天津飯をひとすくいしながら言った。

 「にしても,二人でするのは物理的に難しいよ。タカノくんにも頼もうよ。あの子,入ってからずっとアイツにいじられてたでしょ。この前のすごい額の発注ミスだって,本当はアイツがチェックしなかったからだし。そうそう給湯室であれを咥えさせられたって話聞いた?」「え,なに?それホントなの?性奴隷ってやつ?うける,できてんの,二人?あれ,タカノくん,彼女いなかったっけ?」

 ベージュのVネックから白い丸襟を覗かせている方の女性が,ラーメンを小盛りのライスにレンゲを使って装いながら尋ねた。いわゆる少しだけ崩した服装と自然な化粧,声のトーンからすると,二人とも30代手前だろうか。タカノくんというのは,会社の後輩で「クソデブ」にいろいろと慰み者にされているらしい。従業員の規模が少しでも大きくなれば,どこにでも流れる上司と部下の醜いスキャンダルの類だろう。

 場末の中華料理店の騒音のなかで,それにかき消されないように大声でのやりとり。日頃の鬱憤をそれこそ安上がりに晴らしているといったところか。タカノくんの話に興を削がれたので,いつの間にか綺麗になった餃子の皿を見ながら,ビールの残りをグラスに注いでしまい,店を変えようかと思った。

「ねえ,タカノくん,とりあえず呼んでみない?一人だったらあれだけど,私たち二人だったら来てくれると思うけど」「うん,そうだね。ひとまず相談してみよっか。聞いてしまったらもう共犯者みたいなもんだからね。っていうか,カリン,タカノくんとやったんでしょ?みんな知ってるよ。チームの打ち上げのとき,一人ずつ抜けてたじゃない,教えてくれたらよかったのに。」「いちいち言うもんでもないでしょう。キコだって,シミズくんのこと教えてくれなかったじゃない。」

 いつの間にかそれぞれの食事を終えた二人が,水滴を垂らしたグラスを飲みながら,携帯電話をいじくっている。操作音と爪の音が無機質に,回鍋肉のかき回す音の間に間に聞こえた。タカノくんとシミズくんを呼び出しているのだろうか。メッセージにしては時間がかかりすぎだと思った。

 ニュースはいつの間にか終わり,最近露出が多くなった若手のお笑い芸人が司会を務めるバラエティ番組が流れていた。「ねえ,あのスミダって,タカノくんに似てない?前から思ってたんだけど。」「え,そうかな,タカノくんの方が,もっと全体的に濃いと思うけど。ネタはまあまあ良いよね。それより,シミズくんてどうだった?部長よりスゴいの?」「どうかな,部長は時間かけてくれるし,ていねいだけど,なんか最後の勢いに欠ける,みたいな。」「そういうタカノくんは,どうなの?アイツのしゃぶってるくらいだから,舐めるのはうまいんじゃない?だったらうける。」

 二人の犯罪計画は未遂に終わったようだった。やはり,よくあるグチだったのだろう。タカノ,シミズ,どちらもここで話された内容は知らないし,永久に知ることはないだろう。丸襟の方が先に化粧を直し,支払いを済ませた。あとで割り勘にするようだった。ところどころ油がにじんだ暖簾をくぐって出る二人に続いて外にでると,鋭い流線型の月がちょうど雲の切れ目から覗いていた。

 マフつきの似たようなコートを来た二人が,街灯の暗くなったあたりで別れたときには,どちらがカリンでどちらがキコか分からなくなっていた。だが,そんなことはどうでも良いことだ。もしかしたら明日どちらかが,タカノ,シミズ,いずれかに今夜のことを話すかもしれないが,おそらく全く違った話になるだろう。

 聞こえないように足を少し早めると,いつもの要領で,後ろから女の左首もとに身の反ったサバイバルナイフを45度の角度で突き立てた。良い手応えだ,肉のしまった感じからすると,20代半ばだったか。ショックと溢れる血しぶきで,ふらふらと振り向いたのは,丸襟の女の方だった。

 そう,その顔だ。何が起きたのか理解できない,理解すべくもない表情。大言壮語の計画も物語も良いだろう。好きに語るさ。だが,加害者と犠牲者のほとんどは,そんな筋で決まるものではない。重要なのは,一瞬にもならない今このときだ。二度とあの「クソブタ」を拝む必要もなくなったな。

 そうそう,お前たちが話していた映画は,『セブン』だよ。もう聞こえないか。お前らが血だらけの犠牲者になるのには,そんな脈絡すらない。いや,必要ない。ただ,あそこに居合わせた,それだけだ。こんなくだらないこと,説明するまでもないか。

 ナイフを女のネル生地のスカートの端で拭くと,影が遮っていた女の顔が薄青く照らされて見えた。そこには何の感慨も現れてはいなかった。