fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

甘露煮ぐるぐる

 ねえ,モンブラン美味しかった?美味しかったんでしょ,ずっと君に合うのを探してきたんだよ。栗のクリーミーな。栗だけに(笑)。感じがすごいでしょ。舌にまとわりつくっていうのかな。チューしてる感じ(笑)。そう,気に入ってくれたんだ,すごく嬉しいよ。

 某大学の教授。仮にH教授としよう,は目の前にいる成人を迎えたばかりの女性を,それこそクリームを舐め回すように目でねめつけていた。学生結婚した妻は,知らない間に樽のように太り,その樽との間につくった二人の娘は(おそらく,いや,きっと自分に似て),この上なく美しく育っていた。

 まだ若い頃,仕事を早く切り上げて帰った時,とくに夏などは,二人のすっとまっすぐに伸びながら,起伏のある脚とタンクトップの間からチラと見える乳房の形に,禁じられた喜びを感じないではいなかった。「オヤジ臭い」という言葉だけはかけられないように,十分注意を払っていた。くだらない(?)ダジャレは封印し,目新しい情報にも右往左往しないようにした。そして,二人の若々しい肢体をこそりこそりと日々観察していた。

 「今度うちに来た若い研究者を二人連れてくる。」妻には前もって伝えたが,娘たちに言うのは,どうしてか躊躇った。「パパ,先にお風呂に入ってくださいな」。人事部長の役職を拝命してから,久しぶりに夕暮れ時に帰宅できたのは,日頃から大学の人々に,影に日にいろいろなことを報恩してきたからだろう。そう思うと夕焼けと一番風呂がご褒美のような気がした。

 風呂からあがり,愛猫の喉をテーブル下でなでていると妻が言った。「明美が彼氏を紹介したいそうですよ。」上品に泡立てるサーバーから注いでいた好物のブランドビールを,先が少しだけ膨らんでいるグラスごと落としそうになった。明美が,あの明美が。誰にも,母親にも似ず,だからか,その成長を,身体の成長をひとしきりならない興味で見守っていた明美が俺の知らないうちに誰かのものになっていたのだ。

 きっと,あの形の良い乳房を弄び,幼い頃にぬるいお湯にくぐらせたときに見た腹をなで,俺の知らない恥部に触れ,熱いものを突っ込むのか。教授は,小さい時の明美から今の明美までの身体を勝手に総括して,自分でも怖いくらい異様に勃起していていた。おう,そうなら,どんな奴が来るか見届けてやろう。男同士の話があると誘って,クローゼットで首をつよくつよく絞めてやろう。できれば,俺の手の中で首がボキりと音を立てるのを聞いてやるのだ。

 ああ,あなた嫌だわ,そんな怖い顔なさって。グラスをいそいそと口元に運ぶのを止めるように妻が言った。今日いらっしゃるお二人は,大学の同僚の方ですよね。そもそもあなたがお誘いになったのでしょう。わたしたちは迎える側ですから,酔ってもきちんとしておいてくださいね,

 なるほど,たしかに。今日来る二人は明美とは何の関係もない。わたしの教え子であり,将来が有望な青年たちだ。青年たち?誰も同じじゃないのか,明美をたぶらかしたのはどいつだ。と,教授の携帯電話が,聴覚が衰え始めたのに合わせて設定した,けたたましい音を周りの誰一人構わないように大音量で鳴り響かせた。

 ん,野口くん,どうしたんだ。うん,うん,学長から指示が出ているのなら仕方ないな。いやいや,謝らなくてよいよ。しっかりこなすんだぞ,いいか。うちの学科あげてのプランだからな。うん,また招待するから,愚妻の料理を食べてくれ。いや,いや,今日は他の客もあったから大丈夫だ。また来てくれよ,ぜひ。あ,データだけは送っておいてくれるかい。

 携帯電話の終了ボタンを押すころには,先ほどまでの妄想はかき消えていた。最後の方は嘘をついたな,だが嘘も方便。この場合,使い方は正しかろう。とりあえず,今日はいつもの今日になる。偶然早く帰宅できた日という話だ。誰の邪魔も入らない,家族水入らずで食卓を囲もう。

 「ねえ,お父さん,今日って本当はだめだったんでしょ。」いつの間にかテーブルの隣の席に座っていた明美がさも嬉しそうに言った。お客さん,来ないじゃない。彼氏さあ,きちんと紹介したいから,今から呼んでいいよね。ね,だめ。どうしても紹介したいの,良いでしょ。

 冷静になったはずの教授は答えず思う。明美はいつ,こんなに良い香りをまとうようになったのだろう。五十を過ぎても変に嗅覚だけには自信のある教授は思う。妻がこの香りをまとったら。いや,それは愚問だ。体のいろいろな境界線を消去してしまった女には,あまりにもったいない。境界線が別の意味で問題にならない女だけがまとえる香りなのだ。

 そうだ,あの娘には似合うかもしれない。会うたびに,逢瀬のたびに,自分を舐め尽くし,吸いつくし,精力という精力をすべて奪っていく女。いや,奪っていくのではない,自らに課せられた正当なる権利であるかのように,俺から取り戻す女。あの娘であれば,この香りも,もっと高貴な香りも似合うだろう,そう思いながら教授は自分のものを左手でまさぐった。

 薬がなんだ。大きくするかどうか,そんなもの鬼どもにくれてやれ。結局はすべて自分の意思なのだ。ある女を征服する,ある女を従わせる,ある女を徹底的になぶる。そのために自分は在り,そのために「これ」もある。学生時代から学問にのめり込み,今の大学に奉職し,書籍を世に問い,論文を書いてきた。何が悪い。活字を読まない輩はみな阿呆どもだ。ワレハ ナンジラヲ シハイ スルナリ。これが万事の根源だ!

 明美と「樽」の妻との打ち合わせを聞き流しながら教授は考えている。あの小柄でふわふわした服を着て,頭にもふもふした髪を乗せて,スイーツ,とくにモンブランに目がない娘が,果たしてそれほど重要なのだろうか。なぜ,あのベッドでの上のみだらな肢体を隠すような服を着るのか。本当はつやつやとして甘露煮のような髪を,どうしてアピールしないのか。そもそもあの甘い栗がなぜ好きなのか。

 そのとき,玄関の古風なチャイム音が鳴った。続けて妻の歓迎の言葉,娘のこれまで聞いたことのない,そう栗を甘く煮たような声。そうか,これからはお前たちが家を切り盛りして,男たちを迎え入れ,この家という組織を絶え間なく刷新してゆくのだろう。いや甘くほだしていくのか。それも良いだろう。明美がそうなのなら,もう一人の娘,清美も,きっとあの学生もそうなのだ。俺の居場所はもうなくなった。

 一人のくだらない男の妄想は別として,人の生はそれぞれ流れてゆく。明美はもしかしたら,このとき紹介した男性(あるいは女性)と生涯寄り添い,清美はバイセクシャルを高らかと宣言し,それらすべてを自分勝手に,妄想的次元で危惧していた教授は,何かのハラスメントで訴えられ(あるいは訴えられなくも),離婚して家庭を失い,プライドが許さないからホームレスにもなれず,人知れずどこかのビルから飛び降りるかもしれない。

 栗の甘露煮を食べたものの行く末が計り知れないように(笑),この物語で一方的に語られる人たちの未来は何も決まっていないのだ。だから,だから甘露煮のように,甘く,どこまでも甘くぐるぐる生きて欲しい,という結びで今回は許して欲しい。