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fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

キューピー100パーセントライター

 クニヒコさんはとにかく唐突だ。この前もいつものように,眠い目をこすりこすりお弁当を作っていたら,「今日,金沢に出張だから駅弁ですますよ」って涼しい顔で言って,私がようやく事情を飲み込む頃には,タバコをスパスパさせながら,玄関から早足で出て行った。あとにはタバコの煙だけが残った。

 私は何だか悔しくて,クニヒコさんのために作ったアボカドとシュリンプのサンドを,ぐしゃぐしゃにくずしながら,お腹も空いてないのに大口で食べた。食べ終えると,クニヒコさんが食後にするように,タバコを加えるふりをしてみたけど,虚しくなるだけと思ってやめた。温かいミルクコーヒーに,砂糖をたくさん入れたら,少しだけ落ち着いた。

 「おれ,どっちもいけるけど,それでも良い?」勇気を振りしぼってクニヒコさんに告白したとき,そう言われて「どっちも」って何?って思ったけど,クニヒコさんが顔を,紙をくしゃっとしたように笑ってたから,私はその「どっちも」がどうでも良くなった。クニヒコさんは暇を見つけては,私の部屋に泊まるようになった。

 いつもより早く仕事が終わると,クニヒコさんはとても優しい。もたもた食事の準備をする私を後ろから抱きしめて,「チエのエプロン姿っていやらしいね」と耳元でささやく。今日はどうしたのって聞こうとするけど,そんな時間はくれなくて,クニヒコさんはもうスカートの下から手を入れてる。

 「チエは感じやすいんだから。」そんなに触られたら濡れちゃうよ,クニヒコさん。私のかすれた声とカラダをよじるのに反応して,クニヒコさんのがだんだん固くなっていく。テーブルに両手をつかされ,下着をさっと脱がされ,クニヒコさんが入ってくる。「ぐしょぐしょだよ,チエ,いやらしいな。」ゆっくりしたりはやくしたりして,ときどきうなじをきつく吸いながらクニヒコさんは言う。

 でも,終わったあとは,クニヒコさんはまるで思想家みたいに難しい顔をして,タバコをスパスパする。私はお腹の奥にクニヒコさんの余韻を感じながら,乱れた衣服を整える。パスタの鍋が沸騰していて,ラグーソースの少し煮つめすぎた香りがする。先にパルメザンを用意しとかないと,と思うけど,まだクニヒコさんのが入っている感じがして,カラダが思うように動かない。

 「チエ,明日,会社の同期と飲むから,晩ごはんはいいや。」大好きな鉱石の図鑑を見ながら,クニヒコさんが言う。そういえば前に,「チエはタルクだな」って言われた。タルクって何って聞き返したら,「うーん、軟らかい石ってとこかな?チエのつるつるの肌のように」とはぐらかされた。ダイニングテーブルのソファーにいるクニヒコさんは,どこか遠くから来た人のようだ。ターバンを頭にまいた,石を売る砂漠の商人みたく見える。

 砂漠には砂がたっぷりあって,でも石が無いから,普通の石でもきっと宝石みたいだろうなと思った。クニヒコさんは,石を売るだけでなくて,あの図鑑をつかって石の鑑定もする。タルクは軟らかい石だから,きっと高く売れるのだろう。でも,クニヒコさんはタルクを売らない。これは売り物ではないんだよ,いくらお金を出されても無理ですね。

 あるとき,クニヒコさんが変なことを言った。「キューピー100パーセントライター」。え、キューピー100パーセントライター?思わず聞き返したけど,ガスの代わりにマヨネーズが詰まったライターとか,マヨネーズが好きすぎて,体脂肪率がマヨネーズ100パーセントのモノ書きの人を想像して可笑しくなった。「ねえ,クニヒコさん,さっき,キューピー100パーセントライターって言ったよね?」クニヒコさんは何も答えないで,またしても図鑑に見入っていた。

 クニヒコさんは図鑑を見ながら,石を鑑定している。ピンクのような緑のような石。どこにでも転がっているふつうの石に見える。あの不透明なのってなって言ったっけ。オフホワイト。それは白か。鑑定家クニヒコさんは,驚いたような顔をしている。あんな顔見たことあったっけ。いつものようにタバコを加えているけど,スパスパしてない。え,その石,売るの。そのとき,私はクニヒコさんの手の中で,その石になっていた。

 久しぶりに外食して帰ると,郵便受けに家の鍵が入っていた。変な気がしたので,急いでエレベーターに乗って部屋に入ると,クニヒコさんのタバコのにおいがこもっていた。明かりをつけたら,テーブルの上にメモのようなものが一枚,タバコのケースに敷かれていた。「好きな人ができた,さようなら。」くせのある字で,そう書かれていた。

 クニヒコさんが,「どっちも」好きになれる人だとは,どこかで納得しないまでも認めていた。誰かが誰かを好きになるのも仕方ないことだ,と私は思う。私が石が大好きなクニヒコさんを好きになったように。でもね,クニヒコさん,ひとことで良いから,こんなことはクニヒコさんの口から聞きたかったな。私,勝手に放りだされて悲しくならないほど強くないよ。

 テーブルの上にぽたぽた涙がこぼれたけど,雨が降っても大事な人は帰って来ないように,いくら泣いてもクニヒコさんは帰って来ない。たぶん,携帯電話もつながらないだろう。でも,そう思ってもぽたぽたは止まらなかった。最初につながったとき,泣いている私の口に指を入れて,クニヒコさんがその指をちゅるんとなめたのを思い出した。私は自分の指を口に入れてみたけど,なんだか余計に悲しくなって,ぽたぽたがぼたぼたに変わっただけだった。

 ダイニングテーブルに,鉱石の図鑑が置かれていた。クニヒコさんはあまり荷物を持ち込まない人だった。まるでホテルに泊まりに来るみたいに,つぎの日に必要なものだけ持ってきた。今までもこんな風に置いていったの。図鑑もわざわざ買ったのかな。図鑑には,大きな付箋が目につくようにつけられていた。それをたどってぶ厚いページをめくると,いつかのタルクが載っていた。ねえ,クニヒコさん,私が石鹸みたいに脆いって知っていたのに,こんな別れかたするの。ズルイよ,ほんとに。

 外ではいつの間にか降り出した雨が,室内にきこえるほど,雨足を強めていた。