fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

甲田刑事

 生卵を電子レンジにかけてチンしたみたいだな。マイクロ波か何か知らないが,内側の細胞同士を振動させて加熱,時間を間違えて炸裂させたみたいだ。

 ゲンジョウを見ながら,甲田は思った。散弾銃でもないし,ましてや普通の銃器で「できる」もんじゃない。手榴弾でも飲み込まない限り−−−−爆発処理班の本田が呼ぶ,「甲田さん,ちょっと良いですか。」通報した隣人が,大きな悲鳴と同時にボンという爆発みたいな音を聞いたとかで,わざわざ処理班にご足労願ったって訳か。

 「結論から言います。爆発物らしき物は確認できませんでしたし,火薬の反応もありません。それに,甲田さんならお分かりの通り,爆発とはまったく違います。こう,マイクロ波で……」甲田はその先を遮るように,煙草を持った手を挙げた。「甲田さん,ゲンジョウでタバコは……」本田を無視するように,甲田は最も破損の激しい布団に歩み寄った。

 星野瞳さんのことで伺いたいことがありまして,よろしければ本城署まで来ていただけると助かります。あくまで任意ですが,ご友人の事件ですので,どうかよろしくお願いします。

 また留守番電話か。聞き込みでは,ガイシャと高校時代一番親しかったのは野分千鶴という女性らしい。都内で一人暮らしをしている某女子大学の二年生(今は「二年次生」とか言うんだったな)。交友関係はなく,合コンに入れあげている。

 合コンなんて言葉は,俺たちの世代には無縁だったな。同期は学生の時から付き合い続けるか,婚期を逃していろいろなツテから紹介されるか。俺は後者だったが,刑事稼業なんてロクなものじゃあないな。捜査本部のホワイトボードに張り出された,幼い時の星野瞳の写真(亡くなった親族の遺品の中にあった唯一の写真)を見ながら,甲田は勤務中にもかかわらず,別れた妻に引っ張られていった娘のことを思い出していた。

 本城連続殺人事件。星野瞳に関係のある人間が次から次へと突然死(記者発表ではそのように表現していた)するこの事件を,マスコミはさまざまな見出しで煽った。星野を連続殺人鬼と勝手に推測する週刊誌から,真犯人を愉快犯と決めつけるコメンテーター,人知を超えた超常現象などとまことしやかに断言する怪しい評論家まで,この一件をめぐってメディアは,芸能界のスキャンダルに負けず劣らずの盛況ぶりだった。

 「甲田さん,三番に電話です。名乗ってはいませんが,女性です。」本部を立ち上げてから四日後,甲田に電話をかけてきたのは,あの野分千鶴だった。受話器を手で覆った捜査員に頷いて見せ,甲田は目の前の電話に出た。はい,代わりました,甲田です。

 「もしもし,野分です。すみません,遅れました。ヒトミの,あ,星野さんのことで,私に聞きたいことが,と……」ええ,星野さんのことについて,野分さんから,二三お聞きしたいことがあるですが,次の休みなどに署にお越しいただけないでしょうか。「あの,授業の合間とかでも大丈夫でしょうか。」はい,私がいなくても,誰か担当の者がおりますので,お名前だけ伝えていただければ大丈夫です。

 雪原から白を引き裂くように飛ぶ細い,けれど粘り強い鳥。野分の声は,かつて何かの不幸に遭いながら,身を切るような冷たい向かい風のなかを,懸命に羽ばたいてきたあの鳥を思わせた。星野瞳に関して,伝えるのが辛い,でも,伝えなくてはならない。そんな覚悟が,野分千鶴のかすかに震える言葉から聞き取ったように甲田は思った。合コンなどという浮ついた感じは不似合いだった。

 二日後,飾り気のない取調室で,甲田は野分千鶴と向かい合っていた。じっと不安そうに足元を見つめながら質問に答える彼女に,甲田は努めて事務的に言った。「確認しますが,高校時代の最初の方は,家が同じ方向だから一緒によく帰った。でも,いつからか一緒に帰らなくなった。理由は分からない。それで,最近は一切連絡をしていなかった。事件もニュースで知った。」

 はい,そうです,という野分の声は,取調室の電話を置いている机の引き出しに吸い込まれるかと思うほど弱かった。見た目の派手さとは裏腹な卑下するような態度,他の者なら気づくだろうか,甲田は自問した。明らかにホシとは違う,容疑者とも違う者への,形式的な取り調べ。そのなかに浮かび上がる,ガイシャとの人間関係。そして,その歪な有り様。

 甲田は続ける。「立ち入ったことを伺いますので,最初にご説明したように,お答えになる義務はまったくありません。ですが,もし可能なら,お答えいただけると犯人逮捕につながるかもしれません。あくまで私個人の推測ですが。」野分は,「立ち入ったこと」の語句に一瞬身を引き締めた。甲田は思った,何かがあるのだ,ここには何かが。

 探るように甲田は,「高校時代,最初仲が良く帰っていたのに,途中からそうしなくなったのはどうしてですか」とゆっくり語句を切るように尋ねた。野分は訳もなく欠点を指摘されたように,ぎゅっと身を縮こませた。眉間を逆八の字にしたのは,唯一の抵抗だったのかもしれない。「刑事さん…… 霊って信じますか?」ようやく引き出した本音のはじまりはこの一言だった。

 取調室でこの単語を聴くのは稀ではない。人は自分のした行為を,別の何かの理由で説明したがる。酒に,忘却に,そして霊。神とかいうのもいたな。高級品売り場で香水を盗んだベトナム人が,手を動かしたのは自分ではなくて霊ですと供述してうんざりしたのを,甲田は思い出した。だが,何を引っ張り出すにしても,まずは言い分に委ねるしかないのが取り調べだ。

 ヒトミはよく霊感が強い娘(こ)って言われてました。いつもはひとりぼっちで人を寄せつけない感じなのに,誰かが困ったりすると,それを勝手に察して助けてました。テニス部の後輩や,チアガール部の先輩が,筋肉痛だと思って湿布を貼っても治らないのを,誰に聞いたのでもなく,すぐに飛んでって,変なメモ用紙みたいなものを渡すんです。その次の日には,誰も嘘みたいに治ったそうです。

 それって何なの,なんで分かるのって,一緒に帰るときに聞いたことがあったのですが,おまじないみたいなものかな,って笑ってました。そういう治療みたいなの,誰から教えてもらったのと聞いたときには,少し寂しそうな顔をして,そうねえと言ったきり何も教えてくれませんでした。

 普段は学校であった何気ないことや,新しく買った文房具のことなんかを話してましたが,あるとき,私の家が近くなったとき,真面目な顔して「チズル,これ枕元のどこでも良いから貼っといてくれる?」そう言って,見たこともない星型のような模様が描かれた付箋を,そっと渡されました。私はそういうのを信じていませんでしたが,ヒトミのおまじないなら良いかと,ベッドにテープで貼り付けたのですが,それで……

 気づかなかったのだが,ここで野分はさらに背を屈めていた。どうやら泣いているようだった。書記係に目配せをして,野分にテイッシュを与えた。拭う合間に,自分なりに星野瞳と野分千鶴の関係性を考えてみた。感というのだろうか,この二人は「単なる」友人なのではないような気がした。それに霊というのは……

 それで,どうしたんですか野分さん。「刑事さん,信じてもらえないのは分かっていますが,記録していただけますか。そうですか,分かりました。では,話します。ヒトミの,いえ,星野さんが渡してくれた付箋を枕元に貼ったあと,突然,大きな地震が来たように部屋が揺れ,本棚が大きくぐらぐらしました。その時,私は死ぬんだろうと思いましたが,そうではありませんでした。」

 甲田は自分が経験した神戸の震災を思い出していた。あの震災で息子が箪笥の下敷きになって死に,夫婦関係も一変してしまった。「家全体が,いえ,そのときは地域全体が揺れたと思ったのですが,私の部屋,いえ,私の周囲一メートルほどが揺れたのです。たぶん,それも違って,私だけが揺れたのです。」

 もし甲田が煙草をくわえていたら,大きくしたようなマッチ棒のそれが,下に落ちていくのが見えたかもしれない。あいにく煙草をくわえていなかったので,ぽっかり空いた口を甲田は急いで閉じた。亡くなった息子は,あの震災の数日前に,「ぼくのまわりだけ揺れている」と言っていた。まさか,この野分という娘と震災とは関係があるのか。「野分さん,あなたあの震災のとき,どちらにいらっしゃいました?」

 野分千鶴は質問の意図が分からないと見えて,紋切り型に首を横に傾けた。ああ,すみません,先ほど訊いたことは忘れてください。それで,その,野分さんの周囲が揺れた後,何かありましたか。野分はまた前かがみになり,机の上に置いている組んだ両手に力を入れているようだった。「それから……,それから来たんです。」いつの間にか野分の足元に,涙の落ちる音が聞こえた。

 野分がした切れ切れの話をまとめると,体の揺れを感じた後,形容できない何かがベッドをぐるりと囲んでいたという。そのなかで枕近くのが,機械音のような声で告げた,「コノジュフヲ ハリシモノ イズコナリ」。頭の芯に直に響く「声」に体を支配され,野分千鶴は金縛りにあったように不安に固まってしまったそうだ。朝日がカーテンの隙間から差し込むときには,すべてが悪夢だったと思った。だが,貼っておいた付箋が無くなり,その代わりに何かが焦げた跡を見たとき,夢ではないと分かった,そう野分は消え入るような小さな声で話を結んだ。

 すみません,そういうオカルト的なことではなくて,星野瞳さんが亡くなられた件に,関係するようなことをお聞きしたいのです。ここだけの話ですが,星野さんに関わられた方が,次々と奇妙な亡くなられ方をされているのです。そうなのだ。星野の勤め先の店主,星野の知り合い,その連れ合い。皆が不可解な音に悩まされ,身体の痛みを訴え,星野の死に前後して亡くなっている。

 ガタガタという音に,自分も目を伏せながら話していたと気づいた甲田は,知らないうちに身をさらに屈め,ひどく震えている野分の姿に気づいた。野分さん,落ち着いてください。そう言うと,甲田は書記係に白湯を持って来て欲しいと告げた。後ろの扉がしまると同時に,野分千鶴はやはり小さな声で,「信じてもらえないんですね」と漏らした。「でも,その夜のことがあってから,怖くなったんです,ヒトミが,あれを受け取らなかったら良かったと思って,だから避けて……」。

 甲田は斉藤夫妻の家から発見された黒焦げのバッグを思い出していた。穴だらけの奇妙な家にあった奇妙な物体。念のために鑑識に回したところ,その中から,おそらく青地の生地に縫いつけられたと思しき,金色の糸のかけらが見つかった。それが何を示すのかは,鑑識にも甲田にも分からなかった。こちらも同じだ,結局,手がかりなし,か。

 書記係がプラスチックのコップを持って背後から現れたとき,不意に顔を上げた野分千鶴の目の奥が強く光った。先ほどまでと打って変わり,憎悪を剥き出したように甲田を見据えていた。分かりました。野分さん,ご協力ありがとうございます。お聞きした話はきちんと記録しておきます。もしかしたら,また来ていただくようなことがあるかもしれませんが,あくまで任意です。都合が悪いようでしたら,そう仰ってください。

 その間にも野分千鶴は甲田から視線を外さなかった。取り調べの終わりに気づいた書記係がドアを開け,その後に付き従う野分千鶴を,甲田は目で追わなかった。異様な視線をそうでなくても後頭部に感じていたからだ。どうして突然あんな風に態度が豹変したのだろう。思い出すのも嫌な記憶を,俺がほじくり出したからだろうか。あの目は,引っ張られて出て行った娘の目と同じだった。どうしてこういうことになったのか,その責を問いただす目。

 感情の持って行く場がなくなったような気がした甲田は,机を両手で不意に思いっきり叩いた。その音を不審に思ったのか,隣の取調室から来たであろう若手の刑事がノックすると同時にドアを開いた。大丈夫だ,何でもない。ここは禁煙だったよな。ああそうだな,喫煙室に行く。あとで田辺に戻るように伝えておいてくれるか。調書を見直したいから。

 食卓で冷たくなったアジフライを前にして,甲田はふと野分千鶴の言ったことを考えていた。あいつと同じ,自分のまわりだけが揺れている。あの続きはあいつも体験したのだろうか。形容できない何かに囲まれる,か。疲労などで脳と体のつながりに不具合が生じると金縛り状態になる。体の自由が利かなくなると人は恐怖に襲われ,見えないものが見えたような気になり,聞こえないはずの声が聞こえたりする。くだらん。手にした煙草を吸おうとしたが,すでに火は消えていた。

 その夜,甲田は久しぶりに夢を見た。洋館が見える。黒塗りの古めかしい車が行き来している。男は背広にシルクハットを被り,ステッキを手にしている。和装の者もハンチングのような帽子姿だ。女性は洋風のドレスを着る者とやはり和服姿の者がいる。と,遠くでパタリ,またパタリと,操り人形の糸を切られたように,人が四肢の力を失って倒れる。おい,何が起きている。おい,どうした,気分が悪いのか。抱き起こそうとした着物姿の男の目からは,命の光が消えていた。

 気づくと,まわりの人はすべて倒れていた。レールの上に女性が倒れていたが,甲田がいくら叫んでも路面電車はその体を容赦なく轢いていった。通り過ぎるときに見た運転席の男性も,前のめりになっていて気を失っているか,死んでいるようだった。と,突然,抱きかかえたまま座り込んでいる自分を,ぐるりと囲むように何かが立っていた。ぼそぼそというよりも,唸るように何か呟いている。コトワリ ヤブリシ モノ…… 何なんだ。おい,これは何なんだ,待て,おい待てよ。

 目が覚めたとき,甲田は頭から水をかぶったように汗でぐっしょり濡れていた。体のあちこちが痛かったのは,寝ている間にすごい力を込めていたからだと,手のひらの食い込んだ爪痕を見て思った。