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fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

星野瞳

 最近の若い娘(こ)ってあんまりしゃべらないものなの?うちは男世帯みたいなものだから,女の子のことはよく分からなくて。え,息子が二人もいて,二人とも無口でねえ。うちにいた時もほとんど口をきかなかったけど,下宿してからは連絡もしなくなって。つい私も話さないのが習慣になっちゃって。

 あまり話さなくなったのはいつからだろう。斉藤さんに,ヒトミさん,あまり自分のこと話さないのねと言われて,そういえばと思った。その理由を前にも考えたことがあったが,右のこめかみがきゅっと痛くなった。まるで思い出すのを頭が拒んでいるような気がして,それっきりにしてきた。

 斉藤さんの言葉は,何かのきっかけのような気がしていた。そう,「選択」しなくても彼女とは普通に接することができる。

 いつだろう,あれが見えるようになったとき,ううん,違うな。もっと前のような気がする。畳,そうだ,畳の部屋で,ああ,お祖母様にあのことを言われた時からだろうな。星野家の過去。お祖母様は仕方がなかったと仰っていたけど,私にはどうしてもそう思えなかった。こめかみにかすかに痛みが走った。

 明治時代,立ち上げられたばかりの政府は,国家と国民の統合を図るためと称して,どんな非道いことにも手を染めた,そうお祖母様は話しだした。要人の命を密かに奪ったり,体制に反抗的な人々を連行したり。旧幕府に影で仕えた星野の家も,もちろん取り潰されるはずだった。それを時の当主スクメさまは,家を,家人を守ろうとして政府に頭をお下げになった。代わりに求められたのが,忠誠を示すことだった。

 「でも,お祖母様,だからと言って,人の命をとったりしても良いものでしょうか。」忠誠を示すことが,東京の真ん中で殺戮を起こすことだったと聞いた私は,衝撃を受けてしばらく言葉を失い,ようやくそう言い返した。治安維持を強化するために,テロという口実が欲しかった新政府は,星野家を利用したのだ。「殺す」という言葉が怖くて,私は遠回しに「人の命をとる」という表現を使った。

 お祖母様はさっと厳しい顔つきをされた。では,お前はいま生きている自分を否定するのか,あの時代に星野の家が残ればこそ,お前は日々をこうして生きておるのではないか。その当たり前が享受できるのは,当主スクメさまのご決断のおかげではないか。新政府に利用された過去など,星野という大きな湖に,礫ひとつ落とすような微々たることではないか。

 小学生の社会の資料集にはじめて触れたとき,中に書き込まれている黒々とした重みが体を圧迫して,息ができなくなった。動けなくなった私は,隣に座っていた男の子に連れられて教室を出たところで気を失った。まだ「感じること」しかできなかった頃,その感覚にすべてを支配された。お祖母様がどのように過去を語られようとも,その場が見えてしまった私には,自分の存在を否定する方がずっと正しいように思われた。

 お祖母様は一息つくと,私の顔色から事態を察し,声を少し穏やかにされ,諭すように言われた。瞳,お前は星野の家のなかでも,特に強い力を持っておる。それは誇らしいことであるが,お前はその力の意味を自覚しておらん。ただ,自分を恐れるがために,どうして備わったのかその理由まで考えが及んでおらん。恐れるではない。恐れは迷いを呼び,迷いは破滅を呼ぶ。お前の母は…… まあ良い,その力の意味を考えるのだ。

 そうだ,あれからお祖母様が…… またこめかみが痛くなった。今度はかなり強い痛みだった。

 すっと籐椅子から立ち上がられたお祖母様は,足を引きずりながら,奥の箪笥から何かを出された。瞳,こちらへ来なさい。そう,そうして両手を重ねなさい。良いか,今から言うことを覚えておくのだよ。思念を重ねれば魄が魂に重なる。魄と魂が合わせ鏡のようになる。そのとき,魄と魂を入れ替えることができる。

 お祖母様はそう言いながら,青い和紙を紙さしから取り出し,その上を人差し指でなぞった。絵の具も筆も使ってないのに,なぞった跡には,家紋のような星印が金色で三つ並んで浮かびあがった。これが魄と入れ替えた魂を写しとったもの。思念が強くなれば魄も多くなる。入れ替えられる魂も多くなる。

 言葉の意味はすぐに分かった。この方法が,あの殺戮に使われたのだ。

 その青い和紙を私に渡しながら,お祖母様は言葉を続けられた。あとはお前の歩み,そしてお前に流れている血が決めよう。お前の母は,血の運命(さだめ)を良しとせず,その力を自ら封じた。自らの魂を魄に変え,情けないことに他の者の魂を守ろうとした。魂を分け与えれば,いずれはその身が滅ぶことを知りながら,星野の家のためには用いなかった。その最期は,お前も知るように自分の娘ながら哀れなものだった。

 私が幼いときに,母はすでに体の自由も利かなかった。日に日に布団の上でただ衰弱していくのを見ながら,食事を運んだり,薬と水を運んだりした。それが母と接する数少ない機会だった。体調がほんの少し優れると,母は布団の上に私を座らせ,手を取って自分の頬に当てた。どんなに寒い日でもその頬は暖かかった。いつも目が潤んでいるのと同じく,熱があったからだろう。最期も横になったまま,目を閉じて私の手を頬に当てていた。

 ふとその記憶の一部がぼやけた。お祖母様だ。私の思念に入られているのだ。瞳,そうだったな,お前の母の最期はそうだった。さて,こちらに来て,その紙を破いてくれるか。三つの星,すべてを裂くように縦に破くのだ。私は嫌な予感がした。またお祖母様が思念に入ってこられた。良いからその紙を破け,瞳よ。報いがあるとすれば,この様な形を取らざるを得まい。いな,これをもってお前が我が家の正当な継承者になる。

 私はお祖母様の,頭のなかから聞こえる言葉に体を乗っ取られたようになって,手にあった柔らかそうな紙をゆっくり破いた。と,ガタンと音がして,籐椅子に座られていたお祖母様の体が,筋力をすべて無くしたように横に倒れた。やっぱりお祖母様はこのことを考えておられたのだ。だから私に今日,あのような話をされたのだ。籐椅子の奥から緑の煙のようなものが立ち上るのが見えた。私はとうとう一人になってしまった。

 分家の佑の顔が浮かんだ。会いたかったが,十歳になったとき,お祖母様からもう会ってはならないと,きつく言いつけられたので疎遠になっていた。佑と話がしたい,こんな力なんていらない。星野の家もいらない。私は普通に生きたい。そのとき,持っていた紙がさらさらと繊維に分解されたように崩れた。その空いた両手に暖かいものがそっと触れた。お母さん…… いつの間にか涙は止まっていた。

 そうだった。お祖母様が亡くなられてから,私はあまり自分のことを話したり考えたりするのを止めたのだ。

 あれから普通に生きようと願ったのに,それが難しいのはすぐに分かった。外を歩くだけで人の思念が入ってくる。物に触れればそこに残された記憶が見えてしまう。それは言ってみれば,過剰すぎる情報のなかを泳ぐのに似ていた。自分で選択しなければ,すべてがそのまま流れ込んでくる。それまでは一体どうしていたのかと考えて,お祖母様が身を削ってそれらを覆ってこられたことに気づいた。これからは自分自身で守るしかない。

 見える物を見えないようにするのは,目を避けるのとはまったく違った。それはたとえば目を開けながら,光を感じないようにするのに似ていた。目のさらに奥の神経を自分の意図で遮断する−−−−そのように例えたら良いだろうか。ただ,そうして遮断していても,体の別の感覚が思念を勝手に捉えた。初めてそれに気づいたのは,何かと世話をしてくれた佑のお母さんが亡くなる前だった。

 一人で暮らす私に食事や洗濯物を運んでくれたおばさんは,あるときひどく腰を気にしていた。私も変な痛みを腰に感じていたので,そう言うと「おばさんは分かるけど,瞳ちゃんは幼いのにねえ」と苦笑いされた。−−−−そうだ,斉藤さんが,腰が痛いと言ったときも,同じ感じがした!あれがまた起きるのだ。早く渡しておかないと。−−−−その夜,一人で体を揺らしているおばさんが見えた。何かに取り囲まれたおばさんは,揺れながら少しずつ小さくなっていった。

 一生懸命叫んで止めようとしても体が固まったみたいになって,見ていることしかできなかった。気がつくと,おばさんは米粒くらいの大きさになって,すっと暗闇の中に消えてしまった。と同時に体が動くようになったが,見た光景が夢なのか現実なのか区別できなかった。あれは何だったのだろう。翌朝,おばさんが突然亡くなったことを,佑のお父さんが知らせてくれた。

 不意にお母さんのことを思い出した。お母さんならどうしただろうか。それは考えるまでもなかった。お祖母様は,お母さんが魂を魄に変えて用いたとおっしゃっていた。お祖母様の部屋に行き,箪笥を開けてみると,もうあの青い和紙は一枚もなかった。もしかすると,お祖母様も自分を最後に,誰かの魂を切り離すのをやめて欲しかったのかと思った。

 私は折り紙の中から青い色のを選んで,目を閉じ,自分の深いところにある金色の泉を探した。お祖母様が見せてくれたのは,こんな感じだった。ただ,お祖母様とは違うやり方をしないといけない。魄と魂を切り離すのではなくて,魂を魄に変えて少し取り出す。−−−−金色の泉に触れることはできたが,砂のように指からこぼれ落ちてすくえない。どうして?どうして?私には力がないの?

 理由は単純だった。魄で守る魂がなければ,泉に触れることはできても,そこから指ではすくえないのだ。佑のお父さんが足に大怪我をしたとき,初めて金色がすくえ,折り紙に写すことができた。お祖母様のときとは形の違う小さな星が青色に浮かび上がった。とても嬉しかったのは,お祖母様やお母さんと同じことができたからか,おじさんの足が次の日には治ったからか覚えていないが,多分その両方だったと思う。

 自分の力が誰かの役に立つ−−−−それは,それからも私の生きている唯一の理由だった。でも,佑のお母さんを目の前で救えなかった記憶は,その後もずっと頭から離れなかった。もっと早く写せるようになっていたら,おばさんは死ななくて済んだはずだった。高校のとき,ふたたびあの腰の痛みが走ったときは,だから今度こそという強い想いがあった。千鶴には,いつもより少し多めに金色をすくって写したものを渡した。  あの夜に千鶴が助かったことは,金色が消える時の波長で分かっていたが,学校に来ていた本人を見てようやく心から安心した。本当に良かったね,千鶴。佑のお母さん,今回はきちんとできたよ。私はずっと叶えたかった夢を叶えたような気持ちになっていた。それだけに千鶴から避けられたときには,星野の血−−−−殺戮の家系の宿命からは逃れられない−−−−を呪った。

 それから私は,一人で金色をすくう機会を待つだけの人生を送ってきた。

 佑のお父さんは,大学へ行くお金はすでにお祖母様から預かっていると言ってくれたが,私はもう自分から誰かに関わるのが嫌だった。大学などという人が多い場所では選択するのにも疲れてしまう。自分で,少しでいいからお金を稼いで,静かに暮らす。それでも,もし誰かのためになるのなら,そのときは私のすべてが失くなるまで−−−−腰に今まで経験したことのない激痛が走った。その瞬間,斉藤さんの家の方角に何かが集まり始めているのが分かった。

 私は痛みをこらえながら,青いスカートを切り裂いて袋状にし,そのなかに魄の粒を入れれる限り詰めた。手に糸をとってそこに金色を注いだ。これだけ魄があれば,どうにかなるかもしれない。そこまで終えると,私は意識を失った。