fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

トランシーゴ

 汚れたテレビが昨晩のテロを報道している。ときおり横線の入る荒い画像に映るのは,繰り返される爆発の瞬間だ。無音の画面のテロップを横目で追いながら,カーテンのない窓ガラス越しにオレンジ色に染まる夜景を見ていた。

 ヤシのような背の高い植物が,歩道わきに間隔をおいて植えてある。カンドゥーラを着たでっぷりとした男が,暗い街灯のなかを駆け足で横切り,白塗りの建物の黒い口へ消えていった。

 申し訳程度にスペースのあるナイトティッシュの上では,開いたままのノートパソコンのカーソルが点滅していた。記事を送ったばかりで,所在無くなったような顔をして,トランシーゴは先ほどの電話のことを思い出していた。

 「おたくの『ヴェーロ』,真相をきちんと報道してくれてるね。いつも記事を読ませてもらっているよ。この前の自爆テロも,他のメディアはTEPPの一点張りだったが,UWAのメンバーの単独行動だったと報じたのはおたくらだけだった。」訛りが混じった英語だったが,言葉の選び方は学識の高さをうかがわせた。

 「でも,ここフィーノで,見えないテロが頻繁に起きてるのは知っているか。犠牲者は日に日に増えている。放っておいて良いものかな。」『ヴェーロ』で明るみに出せ,ということか。電話の声はそれ以上何も告げず,切れた。「見えないテロ」。メディアでこの言葉は,ステルス戦闘機と同じように,存在するが(つまり起きているが)存在しないようなテロを指す。

 つまり,パリでは報道されて「可視化」されるが,ベイルートではどんなにその死者が多くとも報道されず「可視化」されない。それを言うなら,このフィーノでのテロは「可視化」されている。少なくとも『ヴェーロ』が把握してなかった事件などない。にもかかわらず,「見えない」とは。ガセか。

 ホテルで用意されたペットボトルの水をぐいぐい飲みながら,まだトランシーゴは窓の外を見ていた。巨大な拳で押しつぶされた形状,金属が紙のようにめくり上げられた運転席。周りの街路は黒くくすぶり,ところどころに炎が残っている。

 衝撃で足をえぐられた者,無数のガラス破片が胸から上に刺さった者。うつ伏せになったまま動かない者。鼓膜をやられたのか,声をかけられても反応できない者。世界に惨状を伝える使命感,この一点において冷静にシャッターをきる権利を与えられた部外者。トランシーゴは無意識に煙草を探す手に気づいて,止めていたことを思い出した。

 ボーナン・マテーノン。ああ,おはよう。直射日光に少しの間視覚を奪われ,ドアマンに片方の目に手を当てて対応した。ああ,頼む。メッセージがあったら,残しておいてくれ。今日取材はないが,テロの被害者を探して,ホスピターロを回るつもりだった。バッグにはカメラを入れたが,使う予定はなかった。

 この時期のフィーノは昼間砂埃が巻き上がる。ボックスカーのフロントガラスには,最後にワイパーをかけた後だけの視界しかない。盛り土になった脇の道を,お面をつけて黒いストールをまとった女たちが歩いている。男たちの腰には,小ぶりの偃月刀が翡翠色の鞘にはいって差し込まれている。皆の眼光は鋭い。

 ホスピターロの開け放たれたホールから入り,大きな病室を覗いた。手前に横になっている,頭を包帯で巻いた男と目が会った。先ほどから額に滲んでいた汗を拭いて,眼鏡を戻すと,一番奥のベッドにマルサーノが,ギプスをはめた足をつっているのが目に入った。『リエ』紙の特派員だ。すでに帰国したものだと思っていたが。

 「よう,珍しいな,誰かの見舞いか。」マルサーノは読んでいた雑誌を裏返して腹の上に乗せながら言った。いつものにやけ顏は病室でも健在か。お前もあのテロの現場にいたのか。

 「いや,取材先の遺跡が突然くずれて,あっという間にこのザマさ。坊さんたちは,おれが国の重要文化財を破損させたとかで,猛烈に怒り出して,大使館に抗議するんだとよ。とばっちりもいいもんだ。」

 で,いつ帰国するんだ。帰ったものだと思っていたが。「そうだな,俺もそのつもりだったが,ここの坊さんは変に政治なんかに干渉するだろ。大使館から連絡があるまで待機だとよ。こんなクソみたいに暑くて,砂だらけの国なんてウンザリだ。」

 病室のこもった匂いにあてられたトランシーゴは,窓際によって吹きもしない風を求めた。庭に生えた竜舌蘭のような植物の間を縫うようにして,黒いターバンに赤い長衣の僧が後ろ手に組んで歩いている。

 おい気をつけろよ。ここはトランクヴィーラと違って,物騒なことを言うとこれだぞ。振り返りながら,トランシーゴは親指を首の前でさっと小さく動かした。あくまで一部だが,妙なまじないをするらしい,とはフィーノが来る前に帰国した支局長が言っていたことだ。

 「お前んとこだと,あのテロはUWEの仕業ってことになってたが,そんな情報どこから手に入れたんだ。うちを含めて全紙TEPPにしてただろ。」おいおい,マルサーノ,情報は金だろ。遺跡で転んだときに,頭でも打ったんじゃないのか。と,トランシーゴは考えながら,まあなと茶をにごした。もう一度,窓外に目をやると,先ほどの僧の姿はもうなかった。

 UWEの幹部と接触できたのは奇跡と言ってよかった。フィーノの国境線で組織を広げていると噂はされていたが,ひっきりなしに移動をして実質は政府軍を撹乱していた。その「広報係」であったMTが,あるときフェイスブックを使って連絡してきて,TEPPの情報と引き換えにトランシーゴに一人の幹部を引き合わせてくれた。

 ジャーナリストにとってテロリストは二種類だ。顔を出すか,覆面をしているか。その幹部は後者だった。両目と口だけに穴を開けた黒い袋を被り,アーミー服に黒いブーツで「あぐら」をかいて彼を迎えた。UWEにとってTEPPは目の上のこぶだった。政府軍と密かに連携を取りながら,UWEと同じ政府転覆を声高に叫ぶ。

 「政府公認のテロリストなど反吐がでる。奴らは無差別テロをしているように見えて,政府に邪魔な分子を殺している。犠牲者を洗い出せば,誰がターゲットだったかを割り出すなど,子どもの手をひねるのよりも簡単だ。」

 頭巾で少しくぐもっていたが,太い声で幹部は言った。彼が求めたのは,TEPPと政府高官の密会場所だった。それは,言い換えれば,テロの起こすべき場所を指定してくれというのと同じだった。いくつか特定できてはいるが,教えれば市民の犠牲が出る可能性は避けられない。

 自爆テロは避けて欲しい。それがトランシーゴの付けた条件だった。テロになっても,組織間の抗争になっても,UWEの犯行は自明だ。声明を出す前に情報を売れば大金になる。だが,ジャーナリストの誇りは…… いや,あの時にすでに誇りなど捨ててしまった。フィーノのことなど,政府軍とTEPPなど俺の人生には何の関係もない。

 行きと同じく帰りも袋を被されていたので,どこをどう通ったのか分からなかった。フィーノの大通りにこんなに曲がり道はない。気取られぬように,何箇所かでわざわざ脇道に入ったのだろう。公館の前で袋を取られて,車を降りると,赤い長衣の僧の一団とすれ違った。

 そうしてあのテロが起きた。政府筋が情報を統制しているようで,『ヴェーロ』以外は軍の長官の談話として,犯行グループをTEPPだと断じた。だが,あの幹部が話したように,数だけ報じられた犠牲者を一人一人「洗い出せば」,政府高官とTEPPの連絡係の名前が出てくるだろう。こちらの言い分が無視されるのは分かっていたが,やはり市民が巻き込まれてしまった…… 自分で撮影した映像は匿名で海外のメディアに流した。

 スクープしたことについて,UWE側から何か動きがあるかと思ったが,MTから連絡はなかった。

 一週間後,滞留期間の件で大使館に寄った時,マルサーノの滞留許可が今朝おりたことを耳にはさんだ。その晩,取材終わりにホスピターロを訪れた。この国のことだ,マルサーノ本人に知らせがいくには,しばらくかかる。先に知らせてやるか。

 例の大部屋の奥には,マルサーノではなく無精髭がやたらと伸びた老人が横になっていた。病床を分け合うのがフィーノ流だ。あのにやけ顏も杖を与えられて追い出されたか。念のために通りかかった看護師に尋ねて,その答えに耳を疑った。マルサーノが亡くなった!一昨日の晩まで何かとうるさいくらい元気だったが,昨晩見回りの時に座ったままなので,眠れませんかと聞こうとしたところ,目を見開いたまま事切れていたという。

 死因は不明だった。フィーノでは解剖の技術が低いため,遺体は本国に送還されることになるだろう。帰宅してから今日の記事を送ろうとノートパソコンを開いたら,ログインしたままにしていたフェイスブックにメッセージが届いていた。MTが死んだことと,それに関して気になることがあるので,至急連絡されたし。

 指定されたのはフィーノの場末にある市場の一角だった。「おじさんがトランシーゴ?」背後で声がしたので振り向くと,カンドゥーラに茶色いベストを着た少年が,自分の方に腕を差し出した。「これ,渡せって言われた。」

 受け取った紙切れには,「雇った者も殺される,ネルボとアニーモの原理だ」と走り書きされていた。雇った者?ネルボとアニーモ?UWEの連絡係はどこにいるのだろう。目をあげると,少年はすでに姿を消していた。視線に気づいてそちらを見ると,赤い長衣の僧がターバンの下からこちらじっとを見ていた。

 フィーノ語の辞典によれば,ネルボとは「魄」を表し,アニーモは「魂」を表すという。フィーノの宗教か何かの原理だろうか。だが,これらとUWE,「雇った者」と何の関係があろう。フェイスブックからメッセージを送ったが,待っても返信はなかった。

 翌日,またもや強烈な朝日に眠りを邪魔されて起きたトランシーゴは,何気なしにテレビのスイッチをつけた。そこには,外国記者に囲まれた軍の長官が,UWEの壊滅を伝えていた。目下,UWEと関わりのあった者を洗い出している,ジャーナリストの君らも例外ではない,と語気を強めた。

 バックパックを取り出すと,トランシーゴは黙々と荷物を詰めはじめた。今更だという思いはあったが,拷問を受けて命を落とすのは違う気がした。フィーノには人権などという言葉はない。病気か何かの原因にされて,屍体はいつの間にか処分される。大使館に急がなければ。

 そのとき,ドアノブがかちりと音を立てて回るのが聞こえた。静かに部屋に入ってきたのは,警察ではなく,赤い長衣の僧だった。「ボーナン・マテーノン。いま取り込み中でして,またの機会にしてもらえるとありがたいのですが……」僧は言葉を聞いていないかのように,胸元から細長い紙を取り出し,それをトランシーゴに見せた。そこには星のような印が三つ描かれていた。

 とてもゆっくりと,僧はその紙をトランシーゴの目の前で縦に破いた。