fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

アスタリスクの亡霊

 重要な英単語の左上についていた記号を見て,星野佑は授業中なのに「あ」と声を上げそうになった。それは幼馴染の「お祖母様」が,襖の向こうで青い紙に浮かび上がらせた印に似ていたからだ。

 金色の印。描かれたようなのに,生きているみたいに揺れる不思議な文字。あんなもの見たことがなかった。あのとき「お祖母様」を隠れて見ていたのに,お父さんに叱られなかった。

 「佑,いいね,本家に勝手に入ってはいけないよ。本家とうちとの「決まりごと」だからね。」

 本家のヒトミは自由にうちに来るのに,ぼくはヒトミの家にはいけない。なんか変なの。小さいころ,お父さんに言われてそう思った。でも,本家にこっそり入ったとき,その「決まりごと」が分かった気がした。

 いつか祭りでお父さんとはぐれた。ちょっと探検のつもりで,夜店と夜店の間に入ったらお稲荷さんがあった。いつもは,変なのって思っていたキツネが,暗がりのなかですごく怖く見えた。瞳の住む本家はあのキツネみたいな感じだった。

 初めて見た「お祖母様」は「お祖母様」というにはずっと若かった。うちのお母さんと同じ歳くらい,いやもっと若く見えた。白い和服を着て足を引きずっていた。青い紙を細い指でつまんで,それをさーっとなでた。そうしたら英単語の記号が……

 「おい,星野,おい,星野」

 あ,はい。英語の安藤が机の前で腕を組んでいた。あれ,授業中だったんだ。

 「もういい。授業中だから,あんまりぼんやりするなよな。じゃあ,城山,続きを読んで……」安藤は持っている教科書の角で,佑の机を軽く叩きながら言った。

 そうだった。あの日もこんな風に「お祖母様」を見ていてぼうっとしてたんだった。廊下を歩いてる間は,早くうちに帰ろうと思っていたのに。それで「お祖母様」が顔を上げられて……ぼくが見ているのを最初から知ってるみたいだった。

 でも「お祖母様」は怒ってないみたいだった。なんか顔がぜんぜん動いてなかった。それから「あ」って思って,うちに走って帰った。

 お父さんに絶対叱られると思ったけど,ご飯のときも何も言われなかった。寝る前に良かったって安心したら,「お祖母様」のことを思い出して,ごめんなさいを繰り返した。

 あれ,ヒトミもできるのかな?本家の人間は誰もできるのかな?

 ふと,佑は何かの視線を感じた。教科書から目を上げて,ちょっと周りを見た。安藤に当てられた城山が文章の訳を読んでいる。男子はそれをノートに書いている。女子はあんまりシャーペンを動かしてない。予習してるんだ,やっぱり。

 「……こん と はく。それを むすぶ いん。これ いのち の しるし に して いのち を あやつる いん なり。……」

 え,そんな文章,教科書にあったっけ。

 なんとなく訳を聞いていたら,城山の口からそんな言葉が聞こえた。佑は第8課の長文を指でなぞりながら,城山が訳している部分を探した。しかし,「マックスの遊園地」というこの課に,そんな文が出てくるはずがない。

 ……気のせいか。そういえば,あの「お祖母様」の紙は何に使うんだろう。神社のお札みたいなものかな。それともおみくじ?

 おみくじと言えば,ヒトミと初詣に行ったとき……

 お稲荷さんがあったのは近所の神社のなかだった。その神社は,追儺や大祓などの行事の際,露天商に境内のスペースを貸していた。佑は父と連れ立ってよく出かけたが,瞳と一緒に行ったことはなかった。

 ある年の年明けに,たまたま瞳の祖母が用事で家を空けることになり,瞳は佑の家に祖母が帰るまで預けられた。毎年恒例だった初詣に,しかし佑の父はその年に限り「行かない」と言った。

 ねえ,どうして?「行かない」ってどういうこと?用事ないんでしょ!せがんだらお父さんは,

 「佑,今年はダメなんだ。来年にまた行こう。」と言って,何回きいても理由を教えてくれなかった。

 だから,ヒトミに二人で行こうって,お父さんがちょっと外へ出たときに行ったんだった。はじめヒトミも嫌がるから,理由をきいたら,お父さんと同じみたいに「イヤなのはイヤなの」って言ってるから,もういいよ,ぼく一人で行くって言ったら,「じゃあ……」ってついて来た。

 あれ,それからどうしたんだっけ。

 佑は安藤に気づかれないように,教科書を読むふりをして思い出そうとした。

 神社でりんご飴を買って−−−−あ,そうだ,ヒトミはりんご飴もフランクフルトも,たこ焼きも知らなかったんだった。初めてだったのかな,変なの。それでおみくじを−−−−

 そのとき,佑はふたたび「あ」と声を出しそうになった。

 神社やお寺によっては,予め数字が振られた棒が入っている「おみくじ棒(筒)」から一本引いておみくじを買う。やり方も知らない瞳のために,佑は手本を見せた。五と書かれた棒を引いて,今度は瞳の番になったとき,不思議なことが起きた。何度箱を上下しても棒はまったく出てこないのだ。

 何回も振っていると,ミコさんの衣装のお姉さんが来て,変ですねと言って,自分が振ってみせたら普通に棒が出た。それで,ヒトミがもう一回振ったら,今度もまた出なかった。三つの箱を振ったけど,最後まで一本も出なかった……

 忘れてたけど,あれ,絶対に変だった。言いつけも忘れて,ついお父さんに話してしまったら,

 「これから二度とそういうことはするな」ってすごく怒られたっけ。

 あれからだったかな,ヒトミがあんまり遊びに来なくなったの。「決まりごと」のなかに入っていたのかな。……あれ,おみくじで思い出したけど,うちって,他の家にある「カミダナ」とか「ブツダン」が無かった。山崎の家で,これ何ってきいたら「はあ,お前知らないの?」ってバカにされた。

 「今度は,じゃあ,田代,次の文章を読んで訳せ」安藤の声がした。田代,田中,中谷……まだ当たらないな。

 「……しんぶつ これ みちを たがう もの に して まじわる こと なし……」

 え,田代,何を読んでるの,英語じゃないの?しかもボウ読みって……

 気がつくと佑は長くて暗い廊下に立っていた。あの夜の神社の夜店の脇を思い出していた。廊下なのに,廊下ではないような違和感があった。右にずっと続く襖の白が,お稲荷さんのキツネと同じ色に見えた。来なきゃよかった……早く,早く帰ろう。

 廊下の突き当たり近くの襖が少し開いていた。急ぎ足になっていたのに,佑は,その隙間に吸い込まれるような感覚をおぼえた。自分でも知らないうちに,佑はその細い間からなかを覗いていた。

 その部屋は少し広い和室だった。正面に暗い色で光沢のある分厚い卓があり,奥の床(とこ)には奇妙な形の皿のような器が置かれ,青くも薄紫にも見える小さな四片の花が植えるように生けてある。左には同じ花をモチーフにしたような衝立が視界を遮っている。そして右には−−−−

 佑は心臓が止まった。白い和服の女性が籐椅子に座っている。斜めに部屋の奥を向いているので,横顔が見える。おばさん?もっと若い?左手の親指と人差し指で青い紙をつまんでいる。短冊のような縦長の紙。右手がその上にかざされ下から上にすっとなぞった。

 空間がどくんと波打ったが佑は動けなかった。それにずっと見ていたい衝動に,なぜか駆り立てられていた。と,金の星のような印が,ゆらゆらと青い紙の上に現れた。現れたのに,まだ揺らめいている。まるで命を持っているみたいだ。紙を持ったまま,女性が佑の方へゆっくりと向きを変えた−−−−ずっと見ていましたね,知っていましたよ−−−−頭のなかで声が聞こえた。

 「おい,星野,おい,星野」

 安藤が机の前に立って腕を組んでいた。

 「もういい。授業中だから,あんまりぼんやりするなよな。じゃあ,城山,続きを読んで……」安藤は持っている教科書の角で,佑の机を軽く叩きながら言ったが,机の上をまじまじと見て驚いた顔をした。

 「お前,何それ?気持ちわる!落書きするなら,もっとマシなの描けよ!」

 安藤の言葉の意味がよく分からないので,佑は机に目を落として「あ」と声を上げた。開かれたノート一面を真っ黒に埋めるように,そこには小さなアスタリスクがたくさん描かれていた。