fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

失う

 まっすぐに歩いていたはずだ。それなのに戻れない。

 

 いざとなればと考えて,アメリカのグリーンカードを取得しようとする人が多いんです。

 『プライベート・ライアン』を観る前に,彼女は非難を込めて言った。当時は台湾海峡の軍事的緊張が高まっていた時期だった。ぼくは彼女の関心を買いたくて,

 「いざとなれば,ぼくでも戦うよ。」と砂の上の城のような,まったく根拠を欠いた言葉を伝えた。

 彼女は,映画を観てから同じこと言ってくれる,ため息を一つついた。

 冒頭のノルマンディー上陸作戦の場面は,ぼくが作った城をものの見事に粉砕した。映画が終わってぼくは彼女に謝罪した。

 それから数年後に,ぼくは台北で集集大震災に遭った。地盤が固かったのか,彼女の家は,大きく揺れるのと,電気が止まる「だけで」,倒壊は免れた。

 「いざとなれば,あなたは日本に帰れるものね。」と,ロウソクの炎に照らされた居間で,圧しかかる心労が家族の口を勝手に拝借した。

 ぼくのように故郷を失った人間は,おそらく二つの考え方をする。一つが,なぜその場所にしがみつくのか分からない,というもの。

 もう一つが,しがみつく場所があって羨ましい,というものだ。

 ぼくは前者だ。それが自然が彫り込んだ刺青のように取れないのを知った頃には,彼女のかつての言葉は違った響きを持ち始めた。

 いざとなればと考えて,アメリカのグリーンカードを取得しようとする人が多いんです。

 チェルノブイリ近郊に戻る住民と,チェルノブイリを離れて,チェルノブイリを想う住民は,この分類には当てはまらない。どちらも,あの未曾有の災害があった場所にしがみついているからだ。

 「ここでしか生きていけないんだよ。もう二人とも歳だよ,このままここに埋まるさ。」老夫婦は歌うように言った。

 「チェルノブイリはまるで夢のような街でした。あそこでは何でも揃いました。」大きなサングラスを画面に向けた夫人の声が訳された。

 ぼくのような故郷喪失者は,高校生で読んだ『アメリカ』のロスマンや『果てしなき逃走』のトゥンダに似ていなくもない。

 似ていなくもないのは,二人とも喪失を自分で選んだのではないからだ。チェルノブイリの住民もそうだ。ぼくは違う。

 奥早村をフィールドワークの対象に選んだのは,つまり,故郷喪失のもう一つの側面を掘り下げる目的からだった。自分という不可解な喪失者。

 事前調査の段階で,報道を通じて知っていた事実以上に,この地が災害の過去を抱えているのが分かった。古くは江戸時代の飢饉,新しくは先日の土石流,地震も頻繁に起きていた。

 数少ない論文は,壊滅を被った共同体がなんども立ち上がった歴史を,無感動な筆使いで記していた。そして,どうしてなんども立ち上がったかについては,無関心を決め込んでいた。

 「これ程までに天災を経験した土地は,地震大国の我が国といえども,早々見当たらない。だが,真に驚くべきは,天災の度毎に「生き抜いた」住民が一丸となり,村落共同体を立て直した事実である。1792年の震災では……。」

 ぼくは考えてみたりする。住民が残りたいと思ったのか,土地が住民を縛っていたのか。住民が土地に縛られたいと思ったのか。土地が住民に縛られていたのか。

 ともあれ,参与観察するには奥早村の「特権的語り手」を見出す他ない。

 「村長?ああ,連絡してあげても良いけど,天災の記憶なんて論文のテーマとしてどうかな?奥早だったら,里山でやった方が良いんじゃない?」

 ゼミの教授のイメージに従えば,そうした過去を語る語り部は,全国的に「博物館行き」になっている。奥早のような小規模の村落では,村史が編まれることも稀だ。仮に存在しても,絶え間なく続く災害ですでに失われているかもしれない。よって目下流行の里山でアプローチせよ。

 専攻しているわりに分からないのは,ひとえに不勉強の産物だ。社会人類学文化人類学と異なる。そして,人類学はさらに異なる。

 文化人類学の手法により社会の構成を明らかにするのと,人類を知るために霊長類を扱うのとを違いとすれば,では文化人類学とは。社会ではなく文化が対象?マリノフスキーだって「集団」を扱ったじゃないか。

 学問は難しい。文化人類学のゼミに入った知人は,タイの医療をテーマに選んだ。「医療人類学って言うんだ」。これでは混乱するばかりだ。

 所属するゼミの名称が何であれ,ぼくが解明したいのは,里山でも,社会でも,ましてやタイの医療でもない。自らの故郷喪失性,それだけだ。

 「最初は,数日で良い。まずは人と触れ合うこと,きちんと立場を説明すること。そうそう,マッピングすること。相手がタバコを吸えば,タバコを吸い,酒を飲めば,酒を飲むこと。」

 先輩のフィールドワーク入門の「いろは」。要は,郷に入っては郷に従うですね。

 「まあ,後半部分はそういうことだ。イトマキ,地図はとくにマストアイテムだからな。よく忘れる奴いるんだよ,ネットじゃ手に入らないから,中間発表でひどい目にあう。」

 奥早村のバス停は,村の中心部からずいぶん離れていた。原則的に,村落は昔の街道などに合わせて形成され,その街道が舗装される。

 だが,奥早は災害のたびに道が新たにされ,最終的に「一番安全な道」が舗装されて残ったのだろう。村と離れたのは,都市部と違って,震災のダメージが不均等に吹き出したからだろう。

 これは地図を作成するのに骨が折れそうだ。

 村の入り口の目印だろうか,右に折れる道路の端に鳥居のようなものが建っていた。全体的に色が黒ずんでいて判別はできないが,細かい模様が全体に彫られている。

 周りが微妙な丈の草で囲まれているので,放置されていると思えなくもない。

 写真を撮っていると,「かれてご」を背負ったおばあさんが通りかかった。白い頭巾で顔がよく見えない。折口村長の家を尋ねた。

 「申野先生からご連絡を受けております。奥早を例にして,里山について調査されるとのことでしたね。」

 どうやら申野先生は思いの外自己主張が激しいらしい。ええ,里山の「歴史的」経緯を調べたいと思っております。最初に村長さんにお話をうかがいたいのですが,ご都合の方は……

 折口村長は調査期間をきいて,そんなに短期間であるなら,今日これからでも質問に答えるが,とにこやかに協力する旨を告げた。

 そうだ,取り掛かりは「ご親切な」申野先生のテーマで構わない。そこからどのように話の筋を導くか。

 一般に里山というと,いま現在の生態系とそれに寄り添った「効率的な」農業形態等を対象とします。ですが,奥早の場合は,先日の土石流のような自然災害によって(大変でしたね),その二つの条件が頻繁に変わってきたと思うのですが……

 「おっしゃる通りです。たとえば,十年前と現在とでは,川の流れが変わり,山の形が変わりました。棚田の数は減り,米の収穫量が見込めなくなったので,別の作物で代用しています。むき出しになった山肌を利用して,馬鈴薯を栽培したりもしました……」

 ここに来るまで少し見させていただきましたが,あそこの斜面は竹藪ではなかったのですね。

 「そうですね。竹が生えていると,根によって土が固くなります。土砂崩れは防げますが,竹は稲と同じく酸性の土壌を作るので,中和が大変なのです……」

 論文は,村に陰を落とす山林の反対側が,竹藪になっているのを笹のマークで示していた。他方で,山林の村側には,このような山間部に珍しく榛の木や沼杉が植生していた時代があったことも示していた。

 そのように災害が発生するごとに,農作物や生活の形態を変えるのは,とても大変なことと思います。村民の意見を集約する必要があるのではないでしょうか。やはり,寄り合いか何かで決めて,新たな里山のあり方を検討されるのですか。

 「寄り合いは……あります。……ですが,あくまで考えを出し合うだけです。皆がそれぞれの考えを出すと……あ,いえ,そこで決定します。」

 メモを取っていて,おやと思った。論文は「共同体の立て直し」の組織化を,「寄り合いによる合議制で決定してきた」と記していた。考えを出し合うだけ,とは。宮本常一の描いた,近代民主制とは異なる「寄り合い」みたいなものなのか。

 「ああ,そうですね。とても大変です。ただ,天災は防ぎようがないので,仕方ないと思っている村民が多いと思います。宿命的……いえ,何でもありません。」村長は答えの順番を入れ替えた。

 まるで前の言葉を取り消すように?いやいや考えすぎだ。

 村長との話から論文以上の情報は得られなかった。それよりも,村を少し散策して別の疑問−−−−それは,あまりにも当然すぎて,考えなかった自分に驚いた−−−−が生じた。

 村長の話に出た十年前,村の全戸数は約三十(と論文にはあった)。先日の報道では二十。歩いていて田畑で目にするのは高齢者ばかり。明らかにもう限界集落だ。

 それなのに,村長はそうした「心配」や「不安」のようなものは微塵も見せなかった。途中の不自然なやりとりは置いておくとして,すでに諦めているのか。とすれば,奥早に関して仮説は証明終了だ。

 災害が多い不便な共同体に「故郷」として執着するのではない。共同体そのものが失われつつあるから離れられない。簡単なカラクリだ。申野先生が喜ぶテーマにするか,仮説を追って対象の地域を変えるか。

 とりあえず一日目を終えようとして,村の入り口−−−−今度は出口−−−−に戻って奇妙な感覚を覚えた。先ほどの鳥居らしきものの形が変わっている。

 デジタルカメラを取り出して画像を確認した。たしかに先ほどと形状が違っている。画像は鳥居の原型のようなものを映しているが,今目にしているのは馬の蹄鉄のように上部がたわんでいる。つなぎ目もない。

 自然木を,時間をかけて曲げ,それぞれの両端を地面に差し込んだ−−−−しかし,色味は同じで表面の細かい模様も似ている。短時間で誰かが取り替えたのだろうか。

 それにしても,下草には掘り返した跡もない。前のものを上からすっと抜いて,同じ穴に今目にしているのを挿したような……

 奇妙は奇妙だが,下の土の具合次第では不可能ではない。高齢者でも五人集まればできよう。

 あらためて写真におさめ,バス停を目指した。ここから近くの町まで一時間。来た時に調べたところでは,あと二十分ほど待てばいい。もうすぐ日が暮れる。

 「かれてご」を背負ったおばあさんが通りかかった。白頭巾をしている。

 あれは,来る時のおばあさんか。どうして同じ方向から。畑に忘れ物でもしたのだろうか。振り返ってその姿を追いかけながら,ふと思った。

 ぼくが捨てた故郷でも,父親がよく鍬だの鎌だのを畑に忘れていた。商売道具なのに,とよく考えたものだ。申野先生が老眼鏡を忘れるなんて想像できない。それとも,そっくり同じ老眼鏡があの引き出しの中に入っているのかも。

 しかし,バス停が遠い。ふつう行きよりも帰りが近く感じるはずだが。いや,行きはよいよい,帰りはこわいの例があるか。あれは「遠い」ではなくて「こわい」か。

 少し先に目をこらすと,右手に折れる道があるようだった。来る時に左に折れる道なんかなかったはず……

 さらに行くと,その道の近くに……鳥居のような……

 あれは……デジタルカメラを出し,画像を確認した。そこに立っていたのは,来た時に写したものとまったく同じだった。