fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

境界石

 測量士を,測量士を早く呼ばなくては。

 宮(みや)の中心丘に立って,どす黒い,底の知れない虚ろを見下ろしながら,セキは焦っていた。このままでは,どこに歪(ひず)みが生じるか,知れたことではない。

 「フミ」が教えるところでは,このようなことはかつて起きたためしがない。だから測量士を呼ばないと。だが,測量士が来たのは,「フミ」が編まれたときだけと聞く。どうしたものか。

 「セキ様,地のものが騒いでおります。黒点が現れたと……」フシの一人が,セキを探して宮を走ったものと見え,息を切らせて伝える。セキは振り返らずに背中で聞く。

 黒点!まずい,すでにコトカタに置換が起きたか。となると,間もなく水が火になり,火が水となろう。土が木となり,木が土になる。地はどよめき,天はうなろう,そうなれば……

 フミ師を呼べ,なるべく多く。火急の用だ。

 フシがその言葉にうなずき,すぐに下がった。セキは中心丘から天文丘へと向かった。

 「フミ」が編まれたときに立ち会われたということは,どこかに足跡を残されているはず。別の地であれば……いや,「フミ」の言葉が先だ−−−−今はそれしか頼る術はあるまい。

 開けた天文丘に出ると,蒼穹に黒い芥子粒が浮かんでいた。吉凶の印,これ黒点にて,他にあらず−−−−コトカタ,転じて,理(ことわり)を変えぬ−−−−まさか,私の在世に生じようとは。−−−−この足の音(ね)は,アヤか−−−−

 「セキ様,お宮の瑞泉に植えた水華が燃えております。黒点も出ておりますし,これは……」

 幼いながら,感じるところがあるのだろう。まだ「フミ」も読んでいないのに。セキはこれから我が娘に係る不憫さを想う。

 アヤ,いいか,宮にはさまざまな異変が起きよう。お前はそれをすべて眼(まなこ)におさめるのだ。理が命じるならば,いずれ語り聞かせになる刻も来よう。−−−−お前の代まで地がもてば,の話だが。誰か,フシはおらぬか。

 「セキ様,ここに。」アヤを追いかけて来たのだろう,フシの一人がすぐに応えた。

 アヤを事変(ことがわり)の間へ。そちらでフミ師の近くへ座らせておいてくれ,一人フシをつけて。

 「畏まりました−−−−

 「セキ様は……

 すぐ参る。しばし黒点の動きを見ておく。行け。アヤがためらうような足遣いをするのを,縄文杉の張り床の軋みで感じる。アヤ,今は堪えねばならない。宮が毀(こぼ)たれようとも,円環は決して欠けてはならぬのだ。

 芥子粒は上下に浮遊していたが,やがて雨粒のように地に降り始めた。セキがそれを眼で追って,宮の遥か下方を見やると,黒点の落ちた箇所が黒い炎を上げた。このままでは地のものが−−−−

 両手を赤装束から差し出して交差させ,天にかざした。広大無辺の地がどくりと脈打った。あちこちの黒炎が,透明な渦のなかに吸い込まれていく。しばらくして,セキが腕を下ろすと,左右それぞれの手の甲に左卍と右卍の傷が現れていた。血が滴っている。

 まずはこれで−−−−だが,これも刻を待つまい。フミ師の解き読みを急がせなければ。セキは滴る血もそのままに,事変の間へと足を向けた。

 朱に塗られた事変の間では,「解」の字の顔掛けをつけたフミ師たちが,白帷子の姿で,各々「フミ」を繙いていた。異変とセキの命でそれと悟ったのだろう,示し合わせたように「フミ」の詩史の箇所を読んでいた。

 どうだ,測量士の足跡は記されているか−−−−セキの声に一人のフミ師が応えた。

 「測量士様の足跡そのものは見当たりませんが,足跡に関わると思しき箇所が−−−−」解いてみよ。

 「八世界を束ねし理より遣わされし者,この地に入らんとせし。されど,三度(みたび)標を見失いしゆえ,境域に標を打ち立て,もって名を与えん−−−−」

 測量士だ。やはりあの方が境域に−−−−間違いない。続けよ,足跡に関わる箇所を解くのだ。

 「−−−−彼の者,「フミ」を見届けしのち,地へと下りぬ−−−−ここで終わっております。」

 何,地へ降りただと。測りごとを終えてこの地に住み着いた。まさか探すあてが「ここに」あろうとは−−−−苦労であった。お前たちは,この事変の間にて黒点とコトカタについて読み解け。誰かオミと卜師(ぼくし)を呼べ。方向鉄(がね)と焚物(たくもつ)をこれに。

 「セキ様−−−−アヤはどうすれば宜しゅうございますか−−−−」

 アヤ,お前はフミ師の読み解きを白布に記せ。文字(もんじ)の判るフシに副手(そえで)を命じておく。−−−−まさか,この刻に「フミ」の読み解きを始めさせることになろうとは。平時に自ら手ほどきをしてやりたかったが。

 「セキ様,オミ,参りました。支度はできております。」萌黄色の束帯に卍を重ねた笏を持ったオミが控えた。その脇に控えるのは卜師。フシが方向鉄と焚物をオミに与えた。

 地に測りごとを生業とされる測量士がいる。お前は地に下りて,彼の者を探し,焚物を捧げて宮へご来光願う旨申し上げるのだ。方角はいかに出ておる?

 「壬(じん)と癸(き)の間(ま),水の方角にございます。」白い丸の字の描かれた黒頭巾の卜師が答えた。

 壬と癸の間。測量士はすでにこれを予測されていたのか。卜師の言葉にセキは一筋の光明を見出した。オミよ,急いで彼の者を。頼んだぞ。オミが朱塗りの間を後にするのを見届けると,セキは宮の様を把握すべく,フシたちそれぞれに見回りを命じた。

 「セキ様,手から血が−−−−

 アヤ,心配せずとも良い。薬師に煎じ膏を−−−−いや,これは後で良い。天易丘へ行く。封印玉をこれへ。

 「セキ様,封印玉は−−−−

 判っておる。他の地の様子を探るだけだ。封印そのものは用いん。−−−−封印を用いれば,円環が欠ける恐れがある。それだけは何としても避ける。セキは心で念じた。

 さまざまな吉祥の印が浮かんでは消える封印玉が,フシたちによって運ばれてきた。これを使う日が来ようとは−−−−セキは母コウの戒めを思い出していた。

 「良いか,セキよ。封印玉は並ぶ他の地を望見するだけでなく,他の地の理に働きかける。それが吉兆いずれであっても,他の地への働きかけに相違はない。他の地とは「創破創」の円環の理を共にしておる。一度(ひとたび)円環が欠ければ,地はすべて−−−−」

 判っております,お母様。境域の標無き今,他の地との端境が侵されています。望見することのみお許しください。−−−−封印玉を持て,私に続け。セキは事変の間から下へ降り,天易丘を目指した。

 蒼白の空間に梵字が浮かんでいる。フシたちに封印玉を持ち込ませると,自分を残して門を閉めるようセキは言いつけた。一人になると,左手をかざして「マン」の文字を引き寄せた。それを封印玉の「卯」が浮かんだ箇所にゆっくりと押し当てた。金色(こんじき)の光が溢れ,蒼白の空間を染めた。

 音のない風がセキを包み込み,封印玉を見つめる顔を一面翡翠色にした。−−−−第七の地に異変が生じていた。門が別の門とつながり,空間の歪みが生じていた。この地は−−−−歪みは特異点を生み出しはじめていた。コトカタの置換がこちらでも生じている。しかし,これは−−−−地が地のものを呑むというのか,そのようなことなど−−−−やはり,境域の標か−−−−測量士−−−−

 封印玉は次第に光を弱め,文字の浮かんでは消える玉に戻った。この地でのコトカタは−−−−目にした影を思いながらセキがつぶやいたとき,右手が冷たい気に触れた−−−−まずい,こちらでもコトカタが−−−−それも宮に−−−−セキは門を開け放つと,控えていたフシに封印玉を任せた。−−−−私は正大門へ向かう,符術師たちにそちらへ征くよう伝えよ。

 聖七守護者の紋字が浮き彫りされている青銅色の大扉。セキは右手の冷ややかな感覚をその前で探っていた。蒼穹か−−−−扉の上,切妻になった箇所に気配を察した。−−−−あれは,伽藍か,コトカタの置換によるものと見た−−−−扉に劣らぬ巨大な伽藍が逆さまに浮いていた。こちらへとゆっくりと動いている。

 「セキ様,符術師集,揃っております−−−−

 私の印に合わせて,「サク」の符を落とせ,良いな。右卍と左卍の刻まれた赤い面を被った符術師集が御意とうなずく。セキは,先ほどの傷も癒えない両手を赤装束から出して,手の平で小さな鞠を抱えるような構えをした。大気が水流と化して,その両手の間に回りから入って行く。今だ,符を。

 符術師集はそれを合図に,「サク」の符を手から落とした。セキは「午到りて,三千世界を揺るがせん」と唱えると同時に,両手に集まった大気を足元向けて放った。と,その刹那,辺りは無音となった。大扉がまず波打ち,そのままその波が伽藍を打った。蒼穹に浮かんでいた伽藍は,その波に押されて「上へ落ちて行った」。

 「セキ様,あれは−−−−

 コトカタの置換によるものだ。地のものたちが呑まれてなければ良いが−−−−第七の地では地のものたちが呑み込まれていた。いずれはこの地も−−−−早く測量士に来てもらわねば。セキは,手の平に浮かんだ第七守護者の赤い紋字を見つめながら,一人つぶやいた。