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fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

測りごと

 ——方位を読み,風を読む,これオミの生業なり

 方位を読み,風を読むとは,地の働きを読むの意なり——

 卜師に示された方角を失わぬよう,オミのシは揺れ動く方向鉄(がね)の粒を常に感覚で追っていた。風は鉄粒が集まるのと真逆から吹いている。シの父ケンの教え通りだった。ケンの代には地に降りた者はなかった。ケンは「地の書」の読み解きと,自らの父の経験の継承を引き受けた。地に降りた今,シは父の言葉を思う。

 「祖父ソウは,セキ様の祖母君の在世に,オミの継承を確かめるため,また,必要ならば継承を改めるため,地に遣わされた。ソウの祖父の代も同じであったという。ゆえに,お前の代に再び地に遣わされることとなろう。」

 ——地の働きを読むとは,その働きに感応するの意なり,

   働きに感応する,これをもて地を往く法となせり——

 地は宮の土とはまるで異なっていた。自らの脚とそれを繰り出して歩む土の固い感触はなく,まるで綿毛の上を歩けばそのような感じになるかのような柔らかさであった。降りたときについ何時もの歩みを行いそうになったシは,あやうく地の底に堕ちるところであった。宮の感覚はここでは役に立たぬ。地の働きに合わせなければ,退きも進みもしない。

 「「地の書」は地の成り立ちを記した箇所と,地の往き方を説いた箇所から成る。成り立ちは「フミ」の「地史」に通ずるところが多い。地そのものにまつわる伝承をフミ師と分かち合ったものだ。地の往き方は唯一地に降りたオミの継承からから成る。よって,お前はオミとして地の往き方をまずは心にとめよ。」

 方向鉄は宮の宝物(ほうもつ)でもあった。ふだんは替わりに方位石を用いた。方向鉄ほどではないが,心に念じるものの場をおおまかに指した。その場を感得するよう努める。卜師が十干に解き写すのと違い,オミは自らの感覚に位を定める。風の読み解きは,容易い季の節目からはじめ,やがて練じては日々の微風に移った。足の感覚を虚にし,二つの読み解きによって地と感応する。すると,宮を飛ぶ羽虫のように音もなく位置を変えられた。

 しかし,地のものとは。「地の書」は伝える。

 ——地のもの,地から生まれしゆえに地のものと云うなり。

   地から生まれしとは,地を受け継ぐの意なり。

   地を受け継ぐとは,地を代々(よよ)に守りし意なり。

   地を守りし意,これ地のものの根本なり。——

 父ケンの継承にも地のものは曖昧模糊としていた。フミ師と分かち合った「地史」にのみ文言が見え,「地の書」が説くオミの継承では一切触れられていないのが原因だとケンは言った。

 「祖父ソウもその祖父の代も,地のものには遭わないと聞く。その在りし様はお前も読み解いたように,「地史」にあるこの述べ伝えのみ。これとて「フミ」編まれし刻に記されたものとて,神代(かみよ)の,他の地との融合生成に際しての伝えかもしれぬ。宮の建立と同じく,オミである我々には触れてはならぬ忌なのかもしれぬ。」

 しかし,シはその述べ伝えが気にかかる。自らが,父の予め言(あらかじめごと)と違いたにもかかわらず,地に降りたからではない。セキ様が宮から地のものを「お守りになられている」ことを,地のものを慮っていらっしゃるのを知っているからなのだ。地のものが地を守るのではないのか,では宮は——おそらく,この質し(ただし)が父の口にした「触れてはならぬ忌」なのだろう。

 卜師の「壬(じん)と癸(き)の間,水の方角」は間近い。方位と風を読んで少し往きを緩める。その刹那,手にしていた重ね卍の笏が激しく振動しはじめた。この兆しは——コトカタの置換によるものか——風に混じって水の感覚が漂う。これは——シの感覚の先に,宮の瑞泉などとははるかにかけ離れた水の大きな帯が開けた。

 ——広大無辺の地にありて,地を断つ水,これカイと云うなり。

   カイとは,ことごとに変じる水の意なり。

   ことごとに変じる水とは,方位と風の働きに感応せし水の意なり。

   ゆえに,水にありて地の働きと同じなり。——

 これまた,くだんの地のものと同じく,オミであった父ケンの継承の異ざまな箇所にして, 「オミの継承と重なる」「地史」の箇所である。感応と働きはオミにのみ述べ伝えられた往く法に関わる。だから,「地史」のみ分かち合ったフミ師には読み解けぬ箇所であり,「地史」と継承を伝えるオミには「如何様に解くべきか」判じ得ない箇所なのだ。

 地の働きと相同と解くならば,方位と風の読みにて往くことが叶う。しかし,地が「ことごとく変じる」とは「地の書」には述べ伝えられていない——

 方向鉄ははっきりと「水の先」を示している。風の読みも真後ろに感じている。先へ往けということか。だとすると,代々のオミの足跡ない地に往くことになる。それで良いのか。「ことごとく変じる」のに感応できるのだろうか。シは自らに質す。そのとき——

 「使いか。どうした。この水が恐ろしいか。そうか。使いが恐れてどうする。それでは使いにならないだろう。言(こと)に文(ふみ),自分たちが作ったものに縛られるとは。それは捧げ物か。「焚物」と言ったかな。いつ振りかな。地に降りてずいぶん経つからな。」

 まさか,宮でのように音(ね)が透き通っている。感覚の衡(はかり)が感じられない。方位も風も往きに与らないのか。加うるに眼(まなこ)で見るようにこちらの持しものが判るなど。そんなことが——

 「あるんだな。これが。一応,これでも理に関わってきたからな。お前たちが「宮」という空間と同じように,いや,ちょっと違うな。もっと自由にできるからな。おい,お使いさん,お前が怖いならこちらから「往く」か?動くなよ。お前の体が二つになってしまうからな。よいしょ,と。」

 その音(ね)はこちらの念まで判っているとシが思ったときには,シは知らぬ間に「そちら」に居た。自ら水の,あのカイの上を往ったのだろうか。方位も風も読んではおらぬのに。「ことごとく変ずる」感覚もなかった。だが,方向鉄の粒は真ん中で静止している。ということは,やはり——

 「いや,違うな。測ったんだよ。ちょいとな。ああ,「宮」のお偉いさんが「測りごと」と言ってただろう。それだよ。まあ,もう失われてだいぶ経つから,誰も覚えてないだろうけどな。お使いさん,道中は短いから,先に説明しておいてやる。これはな,単に物と物の距離を測るだけじゃないんだ。すべての事象を測る。——

 言葉じゃ伝えにくいが,もともと「はかる」というのは,「測る」だけじゃなくて,「計る」「図る」「量る」にも,さらに,「謀る」や「諮る」,「察る」にも通ずる。まあ,言ってしまえば何でもできる。だから,こうやってお使いさんとこちらの距離を「計って/謀って」縮めた訳さ。少しだけ空間をひっつけるから,お使いさんが動いたら空間にはさまれて真っ二つ。

 これくらならまあ良いが,たとえばお使いさんが気になっている「地のもの」を喚び出すとか,地を土に変えるなんてことはやってはいけない。まあ,何でもできると言っても,それも理に干渉しない程度だな。」

 それでは——貴方が「彼の者」,測量士様でございますか。

 「うん。そう。事情は知っている。ちょっとややこしいことになってるな。本当ならこっちからさっと行ってやりたかったんだけど,この世界での規則は「お使いを待つ」ことに定められていて,動けなかったんだ。動くと理に干渉してしまうしな。という訳で,急ぐか。平行世界にこれ以上混乱を招く前に。」