fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

地のもの

 フシに呼び出されたセキの前に,焚物を手にした怪し(あやし)の者が侍(じ)の間に鎮座している。綿毛のような柔らかい衣肌(きぬはだ)の,木朽葉色に似た色の被り(かむり)。その上から白布を額に巻いている。首から下も同じ色の衣をまとい,腰帯で締めている。履物も同じ素(もと)と見える。宮のものではない,地のものか——お主は……

 「お使いの目的,と言えば良いかな。」——少し遠ざかって控えているオミが,首を深く垂れた。

 測量士様——

 「お前が今の「天(あま)の司」か。うん。なるほど。言と文を使って,理の力を少し借りているのだな。お前たちが,いや,お前たちの祖先が歴史書「フミ」を編纂したときの初代エイは,まだその力が使えなかった。それから何年経ったのかわからないが,「作りしもの」が蓄積したようだ。ここまでよく頑張った,と言いたいが,それが災いを招いたようだな。」

 測量士様,何を申されているのか。我らが「フミ」を編みしゆえに災いを招いたと。「フミ」は理の志(こころざし)ではなかったのか。万が一にも災いを招いた因であれば,なぜそなたはそれと知りながら「フミ」編まれし折に立ち会われたのか。

 「理の意志は,世界の創生を,この地の成り立ちを,それぞれの世界に委ねたということに尽きる。どのように世界を創るかは,お前たちが選んだ,いや,お前たちが選ぶのに任せられた。そして,お前たちは言と文を重んじ,それを管理する「宮」を建立した。

 だが,ものは言い様だ。管理と称しながら,それらを独占した。何から独占したか。「地のもの」からだ。地のものが「フミ」や他の伝承に記されながら,いま誰一人知らないのはそのためだ。地のものは言を失い,文を失い,地に沈んだ。」

 我らが「フミ」を重んじるあまり,地のものをないがしろにした,そう測量士様は仰るのか。宮に我らが仕え,いかように地のものを慮ってきたか,貴殿はご存知なのか。

 「ああ,知っているよ。どこまでの代だったか忘れたが,「フミ」に頼りながらも,地のものとの「つながり」をきちんと意識していた者もいたようだな。お前の代に至ると,そのつながりは抽象的になり,「なんとなく」守るべき対象ぐらいになってしまったようだが。

 まあ,無理もないだろう。言と文が地と乖離すればするほど,言と文の縛りは強くなるからな。縛りが強くなれば,それだけそこから得られる力も強くなる。宮はそのための装置であり,お前たちはその「依り代」にすぎない。」

 なに!測量士様と言えど,宮とそれに仕える者への愚弄はお控えいただきたい。私は天を司る者にて,宮の守護を任されておる。ここにおる者はみな,この地を守る使命をそれぞれに帯びておりまする。それを愚弄なさるか。

 「お前は「他の地」を見たことがあるのだろう。「封印玉」などという大仰な名の宝物を使って。他の地はどうであった。言と文に頼りきっていたか。それとも地と共に生きていたか。他の地では,地のものはどうなっていたか。」

 ——それは……

 「まあ良い,愚弄ととっても構わない。で,どうする。その力を試してみるか。お前たちの「創生」を見て以来だ,お前たちが以来どれだけ自分たちを知ったか,試してみるがいい。こちらにも,言と文,お前たちが作り出し,お前たちを「統べてきた」ものを試してみたい気もある。さあ,いつでも。」

 然らばと,セキは赤装束から両腕を出し,胸の前で交差させた。右と左のひじから手の甲にかけて,無数の右卍と左卍が浮かび上がった。——測量士と言えど,容赦はせぬ,これまで境界石を守りし天の力を知るが良い。——セキの体が大きく波打った,周囲もそれに呼応するように波打つ。床に張られた縄文杉の板が波立ち,その波が測量士に迫る。だが——

 波は測量士に達する前に忽然と消えた。——どういうことだ,天の力が利かぬのか——と,セキは身構えた。——なに,測量士がすぐ目の前に。なぜ……

 「そうか,エイなら分かっただろうが,あれからずいぶん経っているものな。お前が「天の力」と言っているのは,お前たちが言と文によって作り出した力,そして言と文によって守ってきた力に他ならない。あの水にいた間は,それも影響することはできた。この地ではそのような規則だからな。でも,使いが来て解放された時点で,「もと」の存在に戻っている。

 この測りごとについては,お前が遣わした使いの方が詳しい。あいつに後で聞いてくれ。それよりも,今はことを急ぐ。いいか,お前たちが測量士と呼ぶものは,もともとここの規則とは無縁なのだ。ただ,面倒な世界をこしらえるなあ,と気まぐれで下に住むために,その規則を仕方なく受け入れただけだ。けっきょく,これも理の仕組んだことだと思うと,多少はむかつくが。——」

 セキは両手から両肘にかけて血を滴らせながら,その場に佇んでいた。——これまで行使してきた法式がまったく役に立たぬ……これが理の真の力なのか。我々は何のために……

 「「天の司」。今は境界石が先決だ。他の世界にこの世界が干渉し始めている。それを止めないと。とにかく「フミ」を始めとする,この地について書かれたものを持ってこい。この「刻」のあり方も残しながら,上書きを始めるぞ。これは,お前たちがもしかしたら,辿っていたかもしれない歴史だ。境界石はそれで元に戻る。」

 「セキ様——あの者が申しておるのは——

 アヤか。どうやら私たち「天」を司る者は,いな,宮の建立は間違っていたと見える。「フミ」を,宮を守ってきた,地のものも守ってきたはずだったのだが……境域の標消えしとき,地の理(ことわり)変わりぬ……

 ——どうやら,このフミ師も読み解けぬ箇所は,測量士様の顕現とこれまでの地のあり様を異にするの意だったのだ……アヤよ,境域の標が戻りし刻は,お前に代を譲り,もって新しき地の創生に励め,それが私の最後の言伝(ことづて)となろう。

 「お前の娘か。アヤと言うのか。名付けたのはお前か。面白い。言の綾,文の彩。新しい世界の象徴となろう。アヤ,お前の母親が見た第七世界は,一つの模範となる。あの世界の理が元にもどれば,の話だが。

 「地のものと共に生まれながら,共に生きていかないのは,それ自体が世界の理から外れる。当分休むつもりだから,言っておくぞ。言と文は,地のものがあって成り立つ。今ある言と文が解放されれば,沈んでいた地のものが現れる。そのときに,契約を新たに結びなおすのだ。」

 「セキ様,フミ師,オミ,符術師,卜師,それぞれ伝え記ししを持ち寄りました。——

 ……測量士様,これに集まりましてございます。

 「うん。それでは始めよう。少し離れていてくれるか。少しだけ理に干渉する。「天の司」,測りごとの間は力を使わないでくれ。理の力を借りながら,干渉するのは,息を吐きながら吸うのに似ているからな。」

 セキはその刹那,右手が冷たくなるのを覚えた。これは……また……

 測量士様,コトカタが迫っております。いかがいたしましょう。放っておけば地には傷み(いたみ)となりましょう。

 「大丈夫。「コトカタ」を待っていた。宮で開けているのは「天文丘」だったな。そちらへ案内してくれ。言と文も全部そちらへ持って行くのだ。——よし,ではここに置いてくれ。先に言った通り,少し離れてくれ。「天の司」も良いな。じっとしててくれよ。」

 セキたちは開けた蒼穹に,ふたたび巨大な伽藍が浮かんでいるのを目にした。フシたちは驚きに口を手で覆い,フミ師,卜師たちは顔を覆っている布を震わせた。符術師は赤い面の下からセキの指図を待っていた。セキはそれに気づき,首を振った。——お前たちの想いは分かる。だが,今や事は我々の手を離れてしまったのだ。

 測量士が山積みにされた言と文を少しの間見つめ,そのまま目を蒼穹の伽藍に向けた。伽藍全体を包み込むように文字(もんじ)が飛び交いはじめた。どこから文字が,とセキが振り返ると,天文丘に積み重ねられた「フミ」から,他の述べ伝えから,まるで蛹の殻を捨てる蜻蛉のように,文字が音もなく一つまた一つと翔び出てゆく。——ハッとして伽藍に目を戻すと,伽藍の下方を支えるような大気の塊が文字によって黒く染まっていく。

 ——あれは……

 「お前たちが「コトカタ」と呼ぶものだ。浮かんでいる伽藍は,あれに支えられてここまで飛んできたのだ。そうか,実体として見るのは初めてか。ならば,あれはお前たちの呼ぶ「地のもの」だと言ったら,さらに驚くかな。」

 ——なに!地のものが——

 「やはり,か。「コトカタ」は,もともとは地のものだった。それにエイたちが「コトカタ」と名を与え,それを記して封じた。その名が書かれた場所,それがあの境界石だ。ここであれを見たことがあるのは,「天の司」だけだな。そうか,やはり。あの境界石の表面に刻まれているのは模様のように見えるが,あれは「紋字」と同じく,力の封じ込めと発動に関わる。そして,その封じ込めに用いられたのが「封印玉」だ。」

 ——……ゆえに「封印玉」と……理に触れる何かしらが封じられていると見ていたが,この地のものを封じるのに用いたか。もって封印玉と名を与え,我々がかつて作りし則(のり)に触れる忌としたのか……これも測量士の言われる「言」と「文」の縛りか……

 「そうだ。もはやお前たちの規則は,「この地の理」と思えるほど強固なものになっている。だが,その強固さが,返って理に反することとなり,境界石の喪失,つまり,コトカタの解放,ひいては地のものの解放につながることとなった。では書き換えるぞ。アヤとやら,お前の母まで受け継がれた「歴史」の一つの形を覚えておけよ。」

 アヤ,お前は——測量士の解きに肯(がえ)んずるのか……そうか,この地の,これまでのあり様は私の代までだな……

 測量士が文字で包まれたコトカタ,いな,地のものへ眼(まなこ)をそそぐ,そして,あれは中心丘を見遣るか。宮が揺れてきた。降るのだな。——天(あま)の司(つかさ),地より離れ,天(あま)に土なせり。これもて,この地,蒼穹に宮(みや)を抱けり。——「フミ」の創生語(かたり)か。アヤの世には別の語(かたり)が紡がれよう。

 セキはまだ血の滴るのもそのまま,両手を縄文杉の板についてうなだれた。