fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

村長の話

 「……で,まっすぐ歩いていたのですが,曲がる道は一つしかありませんでした。それを曲がると,木の鳥居のようなものがありました。それは,行くときに見たことがあると思って,おかしいなと思ったんです。それでそのまま歩いたら,またさっき出た場所にもどって……そうしたら,そこに男性が立っていて,ああ,あなたもですか,って。なんのことか分かりませんでした。」——

 携帯電話の録音アプリを終了した。ボイスレコーダーは念のために持参して来たが——これは先輩の「いろは」から抜け落ちていた——容量を考慮して後回しにした。携帯電話の,電話の機能も,インターネットも利用できない以上,この「オフラインのみ使用可の小型モバイル」を活躍させるには,まずこの使い方がふさわしい。

 今日で三日目。何度か村に戻って,いや戻されて,仕方なく折口村長に「事情」を説明した。村長はインタビューのときには一切見せなかった硬い表情——それは白い能面を思わせた——硬い表情で村長はそれを聴き,無言で部屋へ招き入れてくれた。

 どういうことか,何が起きているのか——同一人物とはにわかに信じられない沈黙で,村長はそれらの質問を受け流した。本来なら二回目の訪問時に聴くべきだった村民を対象に,災害の記憶ではなく,同じ「どういうことか,何が起きているのか」を聴く羽目になるとは。もはや調査の趣旨が変わってしまっている。

 これでは伸野先生を喜ばせることも,自分の当初の目的も達成できないか。

 いや,視点を変えれば,これもまた災害の記憶に関わると言えなくもない。土地がひしゃげたわけではない。家に穴が開いたわけではない。雨水が口の中に無理やり入ってきたのでもない。だが少なくとも,「ここから」は出られない。「圧倒的」という形容詞は似つかわしくないが,「厳然たる」程度なら適用可能だ。厳然たる事実。

 事実,今日話を聞いたインフォーマントの村民は,自分が体験したのと「同じ側面」を言い表そうとした。仮にほかの「巻き込まれた」インフォーマントが口を揃えるなら,ポリフォニーとは異にする記述対象が,彼らの証言から浮かび上がるだろう。

 さて,角度を変えて一般論から選択肢を導いてみよう。

 人がこうした事態に遭遇した場合,取る方法は——おそらく三つぐらいある。①ひたすらもがく,②あきらめてじっとする,③現状を分析する。『チリの地震』だと,たしか①は主人公たち,②はそれ以外の人々,そして③が語り手か。事態を静観できる特権的な立場でない限り,事象の外側には出られない。

 そのうえで,これをひとつの「災厄」と捉えたとする。その仮定に立つならフィールドワーカーである自分はどうするか。分かりきっている。これも「記憶」だ,ならば記録を残し,分析をするのが最善とは言えないまでも,最良の選択肢だろう。——だが,しかし——

 もしかすると,人は誰でもフィールドワーカーになれるのかもしれない。執拗にもがかず,早急にあきらめなければ。『アメリカ』のロスマンに足りなかったのは,自らが置かれた状況を分析するという発想だったのか。

 だが,他方でその発想の無いことが,災厄の「記憶」を生のまま冷凍保存させる,必要条件にして十分条件とも想定できる。分析などというプロセスを加えるのは,すでに当事者性からの離脱の兆候だ。クルツを思い出せ,クルツを。

 「一瞬,何が起きたか分かりませんでした。目の前が真っ暗になって,水のごうごうという音が近づいてきました。床が裂けたようでした。そこから冷たいものが足から腿へと——今でもよく分かりません。」——

 「揺れたときに,すぐに両親のもとへ行こうと階段を降りました。襖に手をかけたときには,側の柱が折れて,上から大きな音がして,体が何かに押さえつけられました。必死で両親の名前を叫びましたが,そこから先は——うまく言葉にできないのです。」——

 災厄は時間軸も空間軸も破壊し,そこから何かを引き出すための思考とそれを伝えるための言葉を奪う。そして,それらを取り戻すべく反省を試みれば,それに必要な時間は引き延ばされ,それを無理にでも縮めようとすれば,体を引きちぎられるような痛みを覚える。

 ぼくは痛くない。反省もできる。言葉もある。それなのに,空虚なのはどうしてなのか。いや,「それだから」空虚なのだ。例えるなら,事象との一体化が果たせていない。

 「チェルノブイリは私たちの出来事です。ほかの誰の出来事でもありません。」黄色に不穏な黒いマークが描かれた看板の横で,ニューヨーク・ヤンキースの帽子をかぶった初老の男性が,肩をすくませる。

 糸巻はアプリを再び起動させた。録音を開始する赤い大きなボタンをクリックする。

 「こちらは糸巻コトです。奥早村に来て三日になります。いや,正確に言うと,奥早村から出られなくて三日目になります。初日に折口村長のインタビューをし,帰ろうとしたのですが,バス停が見つかりませんでした。村の入り口にあった鳥居のようなものが,行くときと出るときに形が変わっていました。それがどう関係あるか分かりませんが,何度試してもバス停は見つかりませんでした。——

 折口村長はこの事態を知っておられるようです。質問には答えてもらえませんが,それは何かを知っている上でのことだと思います。今日もう一度バス停を探してから,戸井さんという男性にインタビューをしました。里山とか災害の記憶ではありません。自分が巻き込まれた事態を伝え,それについて何か知っているか尋ねたのです。——

 結論から言えば,戸井さんも「同じ境遇」であることが分かりました。ただ,どうして自らがそうなったのか,分からない風でした。折口村長に事情を説明されたとのことでしたが,やはり反応はなかったそうです。驚くことに,戸井さんは,「六年」もこの奥早村から出ていないと言われていました。その間に,折口村長から農作業を教えてもらい,田畑に携わってきたということです。——」

 何かに気づいたのか,そこで糸巻は録音を一時停止にし,ファイル「戸井さんのインタビュー」を再生した。

 「……の模様は見たことがあります。前に東北を家内と旅していたとき,小さな神社やお寺を回りました。どこのお寺か忘れましたが,仏像の足元に小さな像をたくさん並べているお寺がありました。その像があの模様と同じだと,あとで気づきました。ですが,それが何か……」

 樹木に貼りつくように彫られたあの模様。形状はまったく異なるが,文化人類学で言う「ポール」,いわゆるトーテムポールの類だろうか。村に建てているということは,部族間の争いの調停を期する「シェイム・ポール」ではない。「テリトリアル・マーカー」,部族の境界(なわばり)の印か。

 だが,ポールが象徴によって読み解けるとすれば,あの鳥居状ものは別物だ。同じ模様ばかりが彫り込まれているのだから。

 「トーテムポールとは,先祖の歴史を記した紋章のようなものです。単なるオブジェではありません。こちらをご覧ください。上から下にかけて鳥にも怪物にも見える顔が掘り出してあります。これらはそれぞれが意味を持ち,それぞれは部族の伝承と照らし合わせることで読み解くことが可能です。」——

 集中講義で,アメリカの先住民を専門にしている教授が,スクリーンで赤のポインターを,何度も動かしながら力説した。

 「木製であるため,風土によっては浸食をうけて朽ち果てます。ですが,それで伝承がなくなる訳ではありません。朽ち果てて土に帰る。いわば地のものとなることで,伝承はさらに深く部族と結びつくのです。」

 ポールが木製である理由,土に帰ること,地のものになる——

 褐色よりも黒に近い材木に隈なく施された彫刻。寺に仏像と共に安置された小さな像。

 「……何の像かですか,さあ,なんと言えば良いのでしょうか。仏様を彫ったものではないです。龍というか,鬼というか,いえ,どちらでもないですね。土地の神様,土着の信仰の形はいろいろあるのじゃないですか……。」

 土着の信仰か。それをかたどったポール,いや,鳥居が形を変える——

 ふつう土着の信仰と言えば,水辺なら治水にまつわる信仰が,山村なら山の恵みや山への恐れに対する信仰が,それぞれ形象化される。だから,水は蛇や龍の形をとり,山はカラスや狼などの鳥獣の形をとる。鬼は後者か。いずれでもないとは,どういうことなのだろう。

 それに戸井さんが「像」として見た物が,奥早ではどうして紋様のように境界の印と思しきものに刻まれているのか。伸野先生がここにいれば,いかにも偉そうに解答をご教示してくださるだろうが。

 そのとき,引き戸を拳で軽く叩く音がした。戸の隙間から顔を出したのは,折口村長だった。

 「夜半に申し訳ありません。もしまだお休みでなければ,少しお時間いただけますか。」——

 てっきり村長の部屋に案内されると思っていたので,見覚えのない観音扉が開かれたときには少なからず驚いた。ろうそくが照らしている。神社の内陣を思わせる上質の板張りの床,左右の腰の高さほどの棚の上には障子,そして,中央には床(とこ)に白磁の壺,その上に一振りの掛け軸がある。——だが,その掛け軸に飾られているのは「何も描かれていない」白紙。

 「この蜜蝋の灯ですと,影もなりを潜めますから,お尋ねされたいことに少しお答えできると思います。」

 影がなりを潜める?何の話だろう。——糸巻はひそかにポケットに忍ばせたボイスレコーダーのスイッチを入れる。

 「かつてこの村には,村史にあたる口伝えがあったそうです。それを刻印した碑石もあったのですが,度重なる災害により,今では失われてしまいました。口伝えと碑石,いずれにも共通したのが,土地の判じものでした。「土地は土と地よりなる。土は地を,地は人をあらわし,二にして一,一にして二の交わりを示すなり。その印,変わりたるものに現れし。」——

 たしかそのような文言だったと思います。糸巻さんはお若いですから,こうした判じものはお珍しいでしょうが,かつてはどの村落にも,捨て石のようにひっそりと伝えられていました。土地とは不思議なもので,一度その目に見えない結びつきを感得してしまうと,離れられないものなのです。」

 目に見えない結びつき——その言葉に片足を取られた糸巻を,それと察するように村長は続けた。

 「分かりやすく例えましょうか。あなたは大学の有望な学生さんですから,釈迦に説法を承知で言います。夜間に見える星は,昼には見えません。ですが,それは星が消えたわけではなく,見えないだけです。土地との結びつきは,そのようなものです。あなたが青空を見ているつもりでも,その先には星を見ているのです。

 ただ,星の場合はその存在を保証するのはこの眼です。夜になれば見えるのですから。土地は違います。土を踏みしめても,土を掘り返しても,土を手に取っても,地との結びつきは保証されません。土も使わない水耕栽培は,都心でも行われているようですね。」

 見えない星は存在しないわけではない,触れられる土が地との結びつきを明かすのではない。理屈は分かる。だが,それ以外の結びつきなど——

 「最後の部分です。「その印,変わりたるものに現れし」。土と地が,いえ,地と人が不可分であることを証明するのが,「変わりたるもの」だと言っています。「変わりたるもの」とは——」

 村長がそこまで話してくれたとき,この内陣のような間のろうそく,そのすべての炎が揺れ,ひときわこの間を照らし出したように思われた。その光に導かれ,奥の間に何気なしに眼をやると,白紙だった掛け軸にぼんやり影が写っていた。

 「糸巻さん,どうも今晩はここまでのようです。明日,月に一度の寄り合いがここで催されます。参加なさいませんか。おそらくお知りになりたいことの糸口を,うまく捕まえることができるかもしれません。ですが,今晩はこれでご勘弁ください。」——

 ふたたび部屋に送りとどけられた糸巻は,先ほどの村長の言葉を考えていた。土地との結びつきが,星とそれを見ている人に例えられるのであれば,故郷との関わりもその類似で説明できるのだろう。私は見ている,その先には見えないが故郷がある——ぼくは見ているのだろうか,眼を閉じているだけなのだろうか。

 それにしても,「変わりたるもの」とは。何を意味するのだろう。見ているだけでなく,触れていても保証されず,代わりに保証するために「変わりたるもの」がある——糸巻はもう一度その箇所を聴こうとして,ポケットからボイスレコーダーを取り出した。

 ファイルを「村長の話1」と名前をつけて保存し,そのまま再生した。ポケットに入れていたからか,雑音が流れはじめた。それを避けようと少し早送りしてふたたび再生した。だが,相変わらず雑音が続いている——と,何かが雑音の奥に聞こえた。

 それは,あの内陣の間の床板をするような音であった。そして,近くに聞こえたかと思うと少しずつ遠ざかっていった。糸巻はそれがどこへ向かうのか,自分は知っているような気がした。——奥の床(とこ),あの掛け軸へ向かって何かが床を這っている。

 その,ずずずずずずという音に混じって,村長の「どうも今晩はここまでのようです」という言葉がようやく聴き取れた。