fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

仕組まれた公開処刑

 ヒノキとも見間違えるほどの白い木肌が月夜に浮かんだ。それはまるで月の光が紋様をすべて洗い流したようだった。——

 「それではこれより寄り合いを持ちたいと思います。それに先立ち,新しい村民を紹介いたします。糸巻コトくんです。さあ,糸巻くん,こちらへ。」——

 開け放たれた障子から新緑の色が板間に差し込む。柔らかい風がときおり吹き抜け,草の香りが広がった。昨晩の厳粛な感じはすっかりなくなっていた。床には十数名の男女——いずれも高齢者——が,あぐらを組んだり,正座をしたり,思い思いの座り方をしている。

 糸巻コトです。よろしくお願いします。集まる視線をそれとなく避けながら,深く一礼した。——糸巻くん,そちらの端の方に座っていてください。村長がそっと耳打ちする。

 「この度の寄り合いでは,二週間前の土石流で流されてしまった,毛織(もうり)さんの畑のあぜ道から話し合いたいと思います。みなさんご存知だと思いますが,毛織さん,現在の状況についてご説明をお願いします。」

 毛織と呼ばれた初老の男性が,右足を立膝にしてゆっくり立ち上がった。村長が手を差し伸べて,その場でその場でと促す合図を送る。足が悪いのだろう。毛織はようやく立ち上がると,しゃがれ声を出した。

 「先だっての雨で畑の斜面が崩れて,うちの畑の「あぜ」をごっそり持っていきよった。あの辺りが弱いのは知っとったが,あんなに窪むとは思わなんだ。梯子をかけようにも,土が弱いからかけられん。どうしたらええ?」

 田んぼの用水路が,水利の駆け引きになるテーブルだとすれば,「あぜ」はカードを取ったり切ったりする手だ。それが封じられれば,農作業は立ち行かなくなる。糸巻はまだ故郷にいた幼い頃,ザリガニを求めてあぜの穴に腕を突っ込んだのを思い出した。

 深い穴に腕を入れると,この小ぶりの甲殻類は巣を荒らされたと思って,指をハサミでしっかりつかむ。そのままゆっくり腕を引き抜けば,つかんだままの赤いゴツゴツした胴体と足が泥から現れる。引き抜くまでの一連の動作が楽しくて,大切なあぜを「ゆるくした」と叱られた。

 あぜは農業を営む者にとって大事な通行路だ。田んぼのように,時期によってはまったく通行ができない場所を迂回する路であり,畑では作物と作物を仕分ける区切りにもなる。それが土石流でえぐられてしまった。毛織が眉間にしわを寄せ,つばを飛ばしながら声を荒げるのも無理はない。

 「毛織さん,ありがとうございました。あぜは,私たちの仕事にとっては生命線のようなもの。それが断たれたということは,毎日にきたす支障も大変なものでしょう。それではみなさまの方からお願いします。」

 近隣の田畑から土を運んで,あぜにできた窪みを修復するのだろう。十数名いるとはいえ,窪みの大きさと深さによっては,総出で取り掛かる作業になるのかもしれない。近隣の助け合い——それは,この奥早よりもずっと人口の多い里山でも日常の光景になっている。

 「コト,ここの田んぼと谷の奥の田んぼとの違いが分かるか。ここの田んぼは,泥の層の下に固い地層がある。お前,長靴であちこち歩いて分かっただろ。田んぼを作るときに,村のものが手伝い合って水平を測り,下の地層を固めたんだ。谷の奥のは,その地層が作られていない古い田んぼだ。だからずぶずぶとはまる。」——

 一つの土地の一箇所を変えるにも,人の協力がなければ上手くいかず,また土の恩恵を満足に得られない。水利も同じ。上流にいる者が用水路の水をすべて使ってしまえば,下流にいる者は田んぼに水を引くこともできない。我田引水の謂れ。——ぼんやりと思い出をたぐっていた糸巻は,毛織に浴びせられた罵声に,突然冷水をかけられ身が縮む気がした。

 「お前さんは,土石流で命を落とさんかったのに,それを幸運とも思わず,自分のとこの猫の額ほどの土が流されたからといって,そんな風に文句を言うのか。身の程を知れ!」——

 「そうだ,命を救ってもろうたのを感謝もせず,貴様は何様のつもりだ。あぜがなんぼのもんだ。すべては地のため,そうではないんか。地の働きあってこその作物。お前のような地を這う蟻のような者が,声を荒げるなどもってのほかだ!」——

 「畑を残してもらいながら,それ以上の贅沢を言うのか。生かされている立場をわきまえろ。土は地のもの,地は天のものだ。天につば吐けば自分に降りかかる道理を忘れたのか,痴れ者め!」——

 罵倒は続く。一人また一人と,立ち尽くした毛織に,これでもかと罵りを浴びせかける。これは何なのだろう!寄り合いとは,一人でできないことを助け合うために,相談し合う場ではないのか。最大多数の最大幸福を目指す,昔ながらの合議制ではないのか?——ふと,村長がこちらを見ながら,唇に人差し指を当てていた。

 ひとしきり罵声が静まると,わなわなと体を震わせていた毛織は,張りの切れた糸のように,その場に座り込んだ。涙目でこれ以上はないほど身を縮こめている。しかし,その口から出たのは,か細い反論どころか,感謝の言葉だった!

 「本当にありがとうございます。もっとも大事なことを忘れておりました。気づかせてくださった皆様に感謝します。そして,それにもまして,命をお救いになった土地に,地に,天に感謝します。それなのに,「地を這う蟻」の分際で非礼を尽くしたことを,どうか,どうか,なにとぞお許しくださいませ。」——

 何が起きているのだろう。糸巻がそう思った瞬間,昨晩ボイスレコーダーで耳にした板間を擦るような音が,耳の端を掠めたような気がした。思い直して板間に座る人々を見ると,みな一様にうなだれ涙を床に落としている。罵声をこれでもかと浴びせられた毛織も,罵声をこれでもかと浴びせた人々も,みな一様に泣いている。

 それは糸巻が初めて目にする異様な光景だった。

 「……新興宗教の本質は,「禁貯吐受」(きんちょとじゅ)で説明可能です。まず自由を奪います(禁),そして自由を奪われた圧を貯めさせます(貯)。そして,時期を見計らってその貯めた圧を吐き出させます(吐)。それが自分に向けられた場合はすべて受け入れます(受)。これを繰り返すことで,人は自らが大いなる意志に律せられたと考えます。……」

 宗教社会学の「丸ぶちメガネ」は,自動人形のように棒読みで説明した。いわゆるマインドコントロール。その光景を,こんな小さな山村で目にしようとは。村長が,インタビューで「寄り合い」について尋ねられた時に見せた困惑はこれを指していたのか。——と,村長に目をやると,先と同じ姿勢で人差し指を唇に当てている。

 同じ光景は,毛織のあとに続いた夜須(やす)という女性の訴え(土石流で畑に大粒の石がたくさん混じった)でも,着方(きかた)という男性の訴え(家の斜面の土砂崩れが居間をつき破った)においても繰り返された。

 ——畑に石があるからと言って,命に別条がなかったことを忘れるな。居間に土砂が流れ込んだことくらい,命の尊さに比べれば微々たるものだ。——畑が残っただけでも地に感謝せねばならないところを,お前は。土砂とお前が耕す畑の土が同じことに思いを致さぬか。——

 罵倒にはパターンがあるようだった。命の大事さとそれが救われた幸運を讃えること,災害にあったとはいえ,そもそも土があることに感謝すること。それが,言葉を変え,口調を変え,永遠と繰り返される。糸巻は途中から,これが一種の洗脳ではなく,形式が決められた寸劇であるように思い始めた。——と,またあの擦るような音が耳の奥で響き,消えていった。

 寄り合いという名の「寸劇」は日が暮れるまで続いた。訴えをして罵倒される者も,訴えを終えて罵倒する側に回った者も,みな憔悴しきっているように見えた。ここまでして何のために——ずっとそれらを目にしていた糸巻が,自分の疲労を痺れた足で意識したとき,村長が油入れに灯した火口を持って横を通った。

 板の間のろうそくに火を移しながら,村長は静かに話した。

 「みなさま,本当にお疲れさまでした。これをもちまして,今回の寄り合いを終わらせたいと思います。いえ,おそらくこれで最後の寄り合いになると思います——」

 その言葉に先ほどまで疲れ切っていた集まりの表情が,疲れを忘れたようにほころんだ。——村長,そのようなことを口にして…——それは本当ですか,村長!——では,解放の時が来たのですか,本当に来たのですか!——みな信じられない驚きと,期せず訪れた安堵からか,口々に同じような表現を繰り返した。いったい何が?先の寸劇といい,何が起きているのだろう。

 村長はそれらの声には応えず,みなをそれとなく板の間から連れ出した。

 「あの,先ほどの寄り合いですが,あれは何だったのですか?これまで読んだ論文でも触れられていませんでしたし,いわゆる寄り合いとはまったく性質を異にしているとしか思えないのですが……」。

 無言の微笑みが村長の答えだった。みなは連れ出されるまま,あの村の入り口まで歩いて行った。いつの間にか月が出ていた。村長が横を歩いている——月を見ながら,何か言いようのない違和感を覚えた。——村長の影が……無い!

 「みなさま,ご覧ください。紋字(もんじ)がみるみる解放されていきます。異形のものを封じた印が解かれていきます。——」

 影に気を取られて,村長の突然の言葉に驚いた。村長が顔を向けている方に目を転じると,あの鳥居状のものから模様がゆらゆらと,ゆっくりと剥がれていく!そして少しずつ浮いていき,砂のようにさらさらと消えていった!

 「あの標は呪木と言います。樹木に通じ,呪術に通じる特別な木です。この地はご存知のように災害が多い地です。ですが,前にお話ししたように,地と人をつなぐ絆は,そのような災害で解けるものではありません。人の悲しみ,苦しみ,絶望を凝視し,地の嘆き,怒り,叫びに耳を澄ます存在——それを人は異形に見出しました。人と地,それらと共に居ながら,それらと共に苦しみ嘆く異形は,人にも地にも近しい存在でした。

 しかし,その異形がいつか近しい存在であることを止め,人と地の間に立つのを止めました。人も地も,もっとも近しいものを失ったのです。異形によって繋がれた人と地の絆は切れ,人は地を捨て,地は人を捨てました。あなたが故郷に向けた目をつむってしまわれたように。ですが,それも今宵までのようです。何の働きか分かりませんが,絆が切れて以来,呪木に縛りつけられた異形が解放されたのです。人と地の絆はふたたび結ばれました。」——

 村長さん,あなたはいったい?——

 「縛りつけられた異形に見出された者,とでも言ったら良いでしょうか。ある骨董店で「予兆」を受けたのです。影を「かた」に取られてしまいましたが。その影が寄り合いの終わり頃に,私に告げたのです。戻ってくると。影は私でもあり,同時に変性した異形の一部でもあったので,ずっと気を抜けませんでした。ですが,今回は本当だったようです。」

 村長の安らかな横顔を見ながら,紋字が消えていく青白い空を見ていた。

 呪木の,褐色とも黒色とも見えた木肌ではなく,ヒノキとも見間違える白い木肌が月夜に浮かんだ。それはまるで月の光が紋様をすべて洗い流したようだった。——