fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

神隠し

 語り部がいてくれるとありがたい。できれば,測量士について説明を求めたい——

 村の中心線となる車一台分の幅員の道を歩いていると,今では珍しい茅葺の低い家屋から田畑が見え隠れする。農閑期を選んだはずと考えたが,そもそも農村というのは,真冬でも豆類の脱穀干し柿を作るのに忙しい。腰を曲げながら鍬をふるい畝をつくる姿すがたを,遠い記憶をたどるようにそこここに見ていた。

 鳥居状のものはあれ以来頭を離れなかった。何度か足を運んで調べた。形状が変わることを除き,紋様と木肌と色合いに変化は見られなかった。触れてみて分かったのは,黒に近い褐色の原因は,予想していた風雪の積み重ねなどではなかった。昨日に作られたばかりのようにすべすべしていた。作られた元より「このような色」に仕上げられたのだろう。

 折口村長は相変わらず沈黙を守っていた。部屋をあてがい,寝食を提供してくれる他は,何をきいても頭を振るばかりだった。その変容ぶりは,最初のインタビューをしたのは別人ではないかという軽い混乱をぼくにもたらした。黙秘権を行使する村長とは対照的に,村民は何ら臆することなく,不躾な問いにも答えてくれた。

 「そうですね,ここ何年かの被害では幸いにも亡くなった方はおられません。先日の土砂でも,畔がえぐれたり,畑に石が入ったりしましたが,家がつぶれたところはありませんでした。本当に幸運ですよ。生きていて土地があれば何とかなりますからね。え,村民の増加ですか?ご覧のように高齢者ばかりですから,新しい命に恵まれることはありません。ただ,たしかに何人かの方が,農業体験とかで少しずつ住み着いています。」

 その何人かの方とは?今はどちらに?

 「あの,村道の一番奥に村井さんという方の家があります。そこから少し林に入ったところに,共同作業所があります。農業体験の希望者の方々は,そちらに住み込みで働いていらっしゃいます。若い方も,たしかいらっしゃいました。」——

 田上という初老の男性が教えてくれた作業所は,奥早が森の中に吸い込まれるように果てる,その手前の林のなかにあった。旧国道につながる村道からは,ケヤキの樹木の隙間を通して,数メートルほど下の開けた場所。平屋の比較的新しい大きい家屋は,作業所というよりは縦長のログハウスを思わせた。脇に小川があり,家屋と傾斜にはさまって井戸が設けられている。どうやら,ここですべてが賄われているらしい。

 すみません。こちらに作業場があると,田上さんからお聞きしたのですが——。

 新しい木の板に焼ごてで刻印された「奥早作業所」の文字を確かめながら,スレンテスにガラスのはまった引き戸を開けて挨拶をした。それに応えるように,薄緑の作業着姿の中年の男性がそそくさと出てきた。こちらに気づくと表情が目に見えて硬くなった。男の後ろの板間には,ビニール製のむしろが一面に敷いてある。

 「はい,何でしょうか。こちらが作業場ですが。どちら様で」

 そう言う男に続いて,五六人ほどの男性が視界の外からぞろぞろと出てきた。村の中ほどに住んでいる村民と違い,何かに怯えているような,いや,何かを恐れているような感じがする。ふつうこの手の反応は,村民に見出されるもので,移住者には見られないものだと思うのだが。——

 「いやあ,横溝作品は古谷一行のシリーズでしょう。」いえいえ,市川崑石坂浩二ですよ。あの襖を開けた奥の端にそれとなく残る陰影は,田舎の闇そのものを象徴しています。「そうかもしれないけど,原作の金田一に近いのは,飄々とした石坂浩二じゃなくて,ダンディな古谷一行だよ。」まあ,どちらも他者を警戒する,いかにも「村」の感じは大事にしていますけどね。——

 研究室の先輩で里山をフィールドワークする人は,たいていが親族か親類の「つて」を頼っていた。横溝論争をした先輩も同じだった。今の時代に,『八つ墓村』や『犬神家の一族』の舞台となったような共同体があるのか(あるとしたら,どれくらいあるのか)ぼくは知らない。それでも「「よそ者」として扱われるかもしれない不安は払拭できないよね」と出発前に先輩は言った。

 田上さんからお聞きしまして,こちらで農作業体験をされているそうですね。

 「農作業体験——ああ,そうですね。はい,ここではそういうことをしています。それが何か?」中年男性の後ろの何人かが顔を見合わせている。いかにも怪しい若者,といったところか。

 あ,すみません。ぼくは大学の卒業論文を書くために,この奥早村を調査している糸巻と申します。突然お訪ねして申し訳ありません。里山の実態が知りたくて色々な方にお話をうかがっているのです。

 調査の形式的な口上を聞いているあいだに,その場の雰囲気がゆっくりと,しかし確実に変わっていくのを感じた。距離を埋めるための儀礼が,返って距離を増してしまったようだ。嘘をついている子どもの言い訳を,それと知りつつ,とりあえず聞く大人の目を,みなが湛えていた。

 「あんた,本当は——閉じ込められたんだろ?——」

 あの,どういうことでしょうか。実体験に裏付けられた冷ややかな嘲笑と諦めが混じった口調に,なぜかぼくは引き戸を開けた時よりも冷静になっていた。この人たちはぼくと同じ状況にあるのだろうか。だとすると,田上さんは,ここの人たちがどうして「農作業体験」をしているなどと,ここが「作業場」などと偽るのだろう。この言葉にあてられたのか,周りの男性たちが,ひそひそと何かを言い合っている。

 「信じてもらえないだろうが,ここにいる者は,みんな少しずつ記憶を失くしている。生まれた場所が分からない者,育った場所が分からない者,何の仕事をしていたのか分からない者,みんなバラバラだ。いくら思い出そうとしても思い出せない。共通しているのは,ここに来る直前の記憶は全員憶えていないことだ。気づいたらこの「施設」にいたんだ。——何度も出ようとした。みんなそろって。だが,あんたも知っているように——。」

 例の鳥居状のものか。しかし,「記憶を失くした」とはどういうことだろう。みなが「どうしてここにいるのか記憶」が無い。ぼくのように自ら「入り込んでしまった」のとはパターンが違うのか。ぼくの記憶の欠損はまったくない。すべて憶えている。戸井さん,もう止めておけよ,この人も何も知らないよ,と何人かの者がつぶやいた。

 「あんたは,どうなんだ?どうしてここで目覚めなかった?どうやって,ここに連れてこられたんだ?どうやったら出れるんだ,なあ?誰が助けてくれる?携帯電話も通じないし,外に連絡を取る方法もない。俺たちは一体どうしたっていうんだ」——

 戸井と呼ばれた男は次第に声を荒げるた。周りの者がそれを抑えるように,彼の両肩と両腕をつかんだ。この様子だと皆が同じことをひとしきり考えつめたと思われる。たまたまこの戸井という男を介して,皆の抱える「絶望」が噴出したにすぎない。これだけの人数なら暴動も可能なのだろうが,それをしないのは「そうしても無駄だ」と知っているからだろう。

 まだこちらに迫るような勢いを見せる男をよそに,ぼくは二つの推論を立てていた。

 彼らが幾度試みてできないのだから,とりあえずはここから「意志では」出られないと思われる。これが一つ。試みてできない彼らから方法論を引き出すのは不合理だろう。これが二つ目。いずれにしても,彼らの存在と不可解な出来事に直面しては,ぼくの調査は本来の軌道から完全に外れてしまった。もはや災害の記憶の調査でも,里山の調査でもなくなってしまったようだ。

 ご指摘されたように,ぼくもここに「閉じ込められた」人間です。どうしたら出られるか,その方法をここ数日間探しています。田上さんからうかがったのは,「ここに閉じ込められた人々」の話ではありません。近年「増えた村民」としてあなた方の話をうかがいました。真相は違うようですね。——

 これもご指摘されたことですが,ぼくにはなぜか完全な記憶があります。そして調査の話は本当です。その調査のために,ここに来ました。もしかしたら,自分の意志でここに来たので,記憶が残っているのかもしれません。あくまで推測ですが。皆さんとの違いを考えてそう思いました。ただ,出られないという事実に関しては,皆さんと同じです。

 「……そうか,あんたも出ようとしているのか……でも,何回も試したが,同じところに帰ってきて,なあ,みんな!……村の人は,きいても頼んでも,何も言ってはくれないが,俺たちに同情してくれているのは,食べ物や飲み物,衣類などを世話してくれることから分かっている……だが,出られないのではどうしようもない……俺の家族は,子どもはどうなっているんだ,仕事は……」

 「出ようとしている」——果たして本当にそうなのだろうか。目の前の苦悩する男を見ていると,自分のなかの何かが,とても冷たく透明にになっていく気がする。そうか,どうやらぼくは,「ここに閉じ込められた」ことをそんなに,いや,まったく思い悩んでいないらしい。なぜか。それは簡単だ。出られたとしても,帰る場所がないから——だろうな,たぶん。彼らはみな,帰る場所,帰るべき場所があるから,思い悩むのだ。

 すみません。今の段階では,どのようにすべきか正直思いつきません。ですが,少し調べさせてもらえませんか。まだ聞いて回っている途中なのです。少なくともこの奥早村については事前調査も行ってきましたし,村の歴史も多少知っています。起きている不可解な現象が,土地固有の何かに関わるのだとしたら,もしかしたら何かつかめるかもしれません。——今度は探偵の,そう,金田一のような口上を述べて「作業場」を辞した。改めて事実を突きつけられた男たちは,無言でうなだれてぼくを送り出した。

 ぼくが彼らを後にして向かう先は一つしかなかった。そして,その一つの場所で,一つのことは今すぐに真偽を確かめる足がかりとなるはずだった。そう,「作業場」へぼくを誘った者。

 「そうですか,話をお聞きになったのですね。それでは私の方から話すことは,もうありません。それもご存知ですよね,ここに戻られたということは」目の前で,くたびれた座布団に田上は正座した。

 そのお話しの様子ですと,ぼくに「知って欲しくて」あの作業場のことを教えてくださったように聞こえますが。しかも,ぼくが戻ってくることも想定されていたのですよね。だとすれば,ぼくにはお話を聞く権利があると思いますが。田上はあの戸井という男と同じような表情を浮かべた。

 「あなたが,いずれあそこにたどり着くのは避けられないと考えました。それに,おそらくお聞きになられたと思いますが,私どもがあの方々を「閉じ込めた」のではありません。今は何もお話しできません。唐突に思われるのを承知で言います,どうか,村長を信じてあげてください。あの方の問題は,必ず解決するときが来ると思います。いえ,必ず来ます。そして,あなたの問題も,おそらく。その時に彼らも——」。

 田上は何を言いたいのだろう。ぼくがきいているのは,村長の問題でも,ましてやぼくの問題でもない。「彼らの問題」だ。それに,ぼくの問題とは何を指しているのだろう。故郷喪失者のことは誰にも話していない。あれについては,ぼくがここにいる限り,いや,ここに居続けるのだろうから,解決する必要がそもそもない。

 「村長さんと,あなたは似ていると思うのです。あの方も,自分の足で来られました。私が若い頃,あなたと同じような学生さんが調査に来たことがありました。その方も,けっきょく出られました。問題の根っこは同じです。ただ,この度は事情が違うようです。「あなた方だけの」問題ではないようです。測量士が来ることになるでしょう。」——

 測量士?どうして突然測量士が出てくるのですか?この奥早の土地を改良する予定でもあるのですか?

 「そうですね,改良といえば,改良かもしれないですね。なるべく早い改良が必要なようです。いえ,正確には元の形に戻すというべきかもしれません。——」田上はなぜか明るい表情でそうつぶやいた。

 村長と一言も言葉を交わさない夕食を終えると,奇妙な疲労感に襲われた。布団を敷く間もなく眠り込んだ。

 不思議な光景を見た。月が青い空から緑の枝葉を照らしている。ここは,村の境にある(そうか,出口であり,入口になるのは「境」だ)あの鳥居状の木がある場所だ。鳥居のようなものは——うん?表面の色合いが揺れているように見える。いや,揺れているのは黒褐色の下の紋様だ。波立つように,泡立つように揺れている。側に誰かが——フェルト生地のような,獣の皮のようなものを上下にまとって,頭に白い布を巻いている。こちらを,いや,鳥居の紋様を見ているのか?

 「ほう,この姿が見えるのか。なるほど,お前もどうやら「遅れてきた者」らしいな。土と地の約束から逸脱してしまったのか。そうか,自らその道を選んだのか。だが,お前の中に捨て切れぬものがある限り,お前は必ずやってくる。いや,戻ってくると言うべきかな。お前が作り出した世界から。ここには,それと意識せずに約束を逸脱した者が何人かいるようだな。彼らもまた約束を思い出すだろう。その時はそれほど遠くない。では,いずれ。」

 あなたは誰なのですか。お話しされたこと,一体何なのですか。——

 質問にニヤリと笑みを残して,その男はぼくの前から忽然と消えた。まるで空間にすっと吸い込まれるようだった。