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fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

糸巻文雄からの手紙

 拝啓

 初夏の候,皆様におかれましてはいっそうご活躍のこととお慶び申し上げます。

 先日は大変お世話になりました。お忙しい中,こちらの勝手を聞いていただき,本当にありがとうございました。あなた様をはじめ,研究室の皆様方からお話を窺う機会を頂かなければ,今もって私どもの勝手な理解のなかに,あの子を閉じ込めていたことになっていたと思っております。あらためて家内共々,深くお礼を申し上げる次第です。

 ただ,誠に遺憾ながら,窺ったお話し,とくにあなた様から詳しくお話ししていただいた内容につきましては,私も家内も,口にしては驚きを新たにするばかりで,受け入れるどころか,その不可解さにのみ拘泥している有様です。あなた様から伝えられた,あの子の「故郷喪失」の苦悩。それが一体どこに起因しているものか,未だに家族の誰も分かりようがないのです。ですが,後ほど書かせていただきますように,その緒(いとぐち)はまったく無いわけではないと思っております。

 もしあの子がどこかで生きていてくれるなら。いえ,生きていることは信じて疑っておりませんが,いつの日か,生きて戻ってきて,私どもに「故郷喪失」の本当の理由を解き明かしてくれることのみを祈って日々を送っております。いえ,どこかで生きていさえしてくれればと祈っております。

 すでに書いている手が千々に乱れているのを,あなた様はご理解なされることと存じます。実に,このひと月というもの,どこから書き始めれば良いものか、書いては破り書いては破りを繰り返しました。このようにお礼が随分と遅くなってしまったこと,どうか研究室の方々にもご容赦願えれば幸いです。

 さて,前置きはこの辺りにとどめ,今回そのように書きあぐねていた手紙をしたためたのには,大きな理由があります。一つは,あなた様に対する謝罪です。

 あの子の私生活において,とても大事なことをお話ししてもらいながら,きちんとお礼もせずに,逃げるようにあなた様の前を辞しました。正直に申し上げますと,あの時,私は「私の知らない」あの子について,私に諭されるようにお話しになるあなた様に,腹立ちを覚えたのです。申し訳ありません。その時は,なぜそのような感情を抱いたのかまったく分からなかったのですが,今は分かります。それは,あなた様に嫉妬したのです。どうかお許しください。

 あの子からお聞きのことと存じますが,入学した一年目は,それこそ折に触れて,この田舎に帰省してくれました。実家が嫌で,離れた大学を選んだものとばかり思っていたものですから,家内共々とても喜んだことを覚えています。それに,それまでとはまるで人が変わったように,帰省するたびに,私の農作業と家内の仕事を手伝ってくれたのです。その変化に,私どもは,あの子がようやく親心を分かってくれたのだとも思いました。

 どのくらいまであの子が,あなた様に自分のことについてお話ししたか存じませんが,中学から高校まで,それは長い反抗期(私どもにとりましては)を経たものです。子を持つ親なら,ことさらここに言うまでもなく共有される経験だと思うのですが,あの子の反抗期も,その反抗する対象は不明確で,そのために,何かにつけてはイライラを募らせているもののように見えました。

 私どもも,あの子のイライラの矛先が不明確なので,対処のしようもなく,また,親とて仕事と生活に追われている一個の人間ですから,イライラにイライラで返す結果になりました。その良し悪しはここでは記しません。子は親に理想を見出すごとく,親も子に「こうであった欲しい」という願いを押しつけがちなものです。日常的にそう思わなくとも,ふと気づくとそのように行動してしまっているのは,子も親も同じだと思います。

 おそらく,あなた様も,多かれ少なかれそうした経験はお持ちのことと存じます。どちらか一方が悪いのではなく,もちろんどちらか一方が良いというのでもありません。互いにその時その時を一生懸命に生きた結果,衝突もやむを得ないと思うのです。そして,そうした衝突を補うように,「血は水よりも濃い」という言葉通り,親子の絆というものは,一時のいさかいで損なわれてしまうものではないと信じていました。

 そうした絆の再発見,ある種の「雪解け」が,あの子の大学時代に訪れたと私どもは思ったのです。事実,どちらかと言えば口下手な私と積極的にコミュニケーションを取りたいかのように,あの子は自ら農作業についてきては,育てている野菜について,田畑について,幼い頃の記憶について,私に話を促してくれました。今から振り返れば,ほんの一時だったかもしれませんが,あの子が自分の息子であって,本当に良かったとも,自分の誇りだとも思いました。

 息子は母に,娘は父にとは,私が大学に通っていた頃に流行ったフロイド(今では「フロイト」と表すのですね)の説ですが,あの子もその例にもれず,小さい頃から家内とはコミュニケーションを取っていました。反抗期の真っ只中でさえ,真摯にあの子に向かい続けたのは家内でした。後ほど書きますが,私はその頃,今でいう「地域おこし」,地域の活性化の先駆けとなる活動で忙しく,夜遅く帰宅することが多かったのです。私の替わりを務めた家内は,決して風当たりが弱くはなかった家族にあって,懸命にあの子に向かい合ってくれ続けました。

 そのような家内ですから,ゴールデンウイークに,盆に,正月に,また,少しでも連休があれば帰省して,料理を自分から習おうとするあの子の姿には,私以上に喜んだと思います。一方で,夏などに農作業で疲れているあの子を思いやって,私が一人出かけようとするのを,何で気づいたのか追いかけてくるあの子に,「私が作業に出るから無理をさせることになる」と怒ることもままありました。自分の腹を痛めた絆は,男親には分からない不可思議な結びつきだと思ったものです。

 私と家内は,そのように,自ら率先して手伝いをし,話をしてくれるあの子を見ながら,私ども親の気持ちを分かってくれたのだと嬉しく思っていました。ところが,研究室にお邪魔し,お話をうかがったあの日,私はあの子の下宿先で「物語」と言いますか,「寓話」のようなものの原稿を見つけてしまったのです。内容はここには書きません。いえ,あまりに私的なことですので,書けないのです。主人公やその家族こそ偽名になっていますが,明らかにあの子から見た幼年時代がそこには綴られていたのです。

 先に結論だけ申し上げれば,私は衝撃を受けました。家に持ち帰り,家内にも見せましたが,家内も同じでした。思えば,あの子が自分の幼い頃を話すことはありませんでした。いえ,あの子が口にする幼い頃は,田んぼで遊んだこと,どじょうを取ったこと,魚釣りに行ったこと,などのたわいもないことばかりでした。まさか,幼い頃に二度もイジメに遭っていたなど,恥ずかしながら察することすらできませんでした。

 あの子は思い出を祖母と祖父の話から始めています。私にとっては,母と父にあたります。あの子の記憶にある父母は,仕事で忙しくしていた私の知らなかった面でした。先ほども申し上げたように,私も例にもれず,それなりに反抗期を経ましたから,生前の父母に正直になれなかったところはあります。彼らからすれば,あの子は初孫でもあったので,目に見えて可愛がったことはあなた様でも想像できると思います。ですが,あの子はその祖父母から「フシンカン(不信感)」を最初に植えつけられたと書いています。

 私はその箇所について家内と話し合ったのですが,家内が「よそ者」(すみません,これは家内が用いた表現です)として「より客観的に」申すには,祖父祖母ともに,両極端な反応をあの子に見せていたそうです。これも,もしかすると,三世代の家族にはありがちなことかもしれません。つまり,孫だけの前では目に入れても痛くないほどに可愛がり,一方で,嫁を前にすると一変して舅と姑の人格をあらわにする。

 人間らしいと言えば,いかにも人間らしいです。自分と血を分けたから味方をするわけではありませんが,祖父母の反応もやはり一生懸命に生きた結果だったと思います。ただ,この件については,家内は責任を感じているようでした。

 「私が何か言われるたびに,一人で飛び出さなければ良かったかもしれません。せめて,置き去りにせず,あの子や妹たちを連れて出て行けば。剥き出しの大人の醜さにあの子に晒すことはなかったでしょう。家でお義父さんお義母さんと何かあるたびに,私が出て行くので,あの子は友達から「離婚してどっか行くと言ってたけど,それはいつなんだ」と何度も尋ねられたと,言っていました。」

 家内が申すには,家で家内と祖父母が揉めるたびに,今度は家から出ないといけない,自分は父母どちらかを選ばなければいけないという窮地に,あの子は立たせられていたかもしれないのだそうです。それを幼心に,友達に伝えた。ですが,別れることはなかったので,嘘つき扱いされたと。もしあの原稿がなければ,昔のことと笑い飛ばしたところでしょうが,あの子が消えた今,そうした「些細なこと」すら,積もり積もってあの子に失踪を選ばせる結果につながったと思えてならないのです。

 恥ずかしいことですが,私はその間にも「地域おこし」の仕事にかまけていて,そのうえ仕事上の疲れやイライラを呑むことで晴らしていました。逃げ場のない,選択肢しか与えられないあの子,しかも不信感を植えつける大人たちから与えられた選択肢を受け入れるしかないあの子からすれば,私は随分と良い身の上だったでしょう。大人たちがこぞって好き勝手振舞っているなかで,あの子は一番身近な家族が信じられず,友達たちも信じられなかったのですから。

 あの草稿は中学の途中で終わっていますが,PTA会長をしていた私の耳に,あの子が部活をなまけて魚釣りに行っていたという噂が入ってきました。私は諭す意味も込めて,自覚が足りないとしかりました。怠心と悪戯心で部活から逃げたのだと思ったのです。ずっと後になって,その一件をきっかけに,あの子が「村八分」にあっていた時期があったと知りました。ですが,そんなことは一言も話しはしませんでした。私は,あの子が書いているように,自分が少しできたからという理由で,それをあの子にも強いていたのです。

 おそらくこの私が,あの子に話しをする機会を,受け入れる機会を与えなかったのでしょう。原稿でも書かれているように,たまにあの子が良い成績を取ったりして,それを見せに来ると,私はなぜか意地悪をするように,どうでも良いことをふっかけたりして煙に巻きました。自分の母,つまりあの子の祖母が,勉強に関してはひときわ厳しかったので,それを踏襲するつもりだったのかもしれません。ですが,今思えば,あの子はそれによって「自分が認められる場」を失ったのかもしれません。

 あなた様がどのくらい沢木さんのことをご存知かは知りません。私の知る限り,あの子が一番長く交際した女性だと思います。先日,あの子のことを聞いて,私どもを訪ねてくれました。しぜん,あの子の思い出話になったのですが,沢木さんが言うには,あの子は高校生だったのに結婚を前提に,いえ,ずっと一緒にいることを前提に付き合いたいと常々言っていたそうです。沢木さんは当時,それほど真剣には取り合っていなかったそうですが,思い返すと「とても必死そうだった」と話してくれました。

 「コトくんは,ずっと本気でした。何かの記念日のたびに,「ずっと一緒にいてほしい」と本気で頼むように口ずさんでいました。あまりしつこいので,あるとき,「わたしはコトくんの親じゃないからね」と冗談で言いました。それを聞いたコトくんの落ち込みようが激しかったので,冗談だからとこちらが謝るくらいでした。コトくんは,どうしてわたしなんかに,あんなに依存していたのか,分かりません。」

 沢木さんは原稿を読んでいないので分からないのは当然ですが,この言葉は私どもに鋭いトゲのように刺さりました。あの子は,自分の家族には求め得なかった場所を,沢木さんに求めようとしたのです。そう思います。そして,大学に入ってからは,陳さんという方に求めようとしたのではないですか。もしかすると,あなた様にも。推測と言われれば,反論のしようもありませんが,そうだと思うのです。そして,陳さんから震災をきっかけになぜか遠ざかった。また,帰る可能性のある場所を失ったのです。

 もしこの推論が正しければ,あの子が「故郷喪失」などと言う大仰なことを言いだすのも分かる気がします。あの子にとって「故郷」とは,純粋に空間的な概念でも,純粋に心理的な概念でもないのです。いえ,「home」と言い換えれば済むかもしれません。普通に言うところの「帰る場所」なのでしょう。そのように考えると,原稿を読んでしまった今,私どものところはすでに単純な「帰る場所」ではなくなっています。悲しいですが,そう考えざるを得ません。

 ただ,もしかするとあなた様のところへは,あの子は帰るかもしれません。あなた方のお話,あの子の残した草稿,そして,あの子の失踪という現実。これらを踏まえて,家内と出した結論は,いえ,家内とあの子の妹たちと願うのは,あなた様にあの子の「帰る場所」になっていただきたい,ということです。失礼不躾この上ない身勝手な願いであると分かっております。ですが,もしあなた様が,先日に話されたように,本当にあの子のことを思ってくださるなら,全身全霊を込めてお願い申し上げます。

 末筆になりますが,あなた様のご健勝とご活躍を祈念いたしております。

                                   敬具

 

 ——年 五月 十五日

 大伴様

                                糸巻 文雄