fumi_saeki’s blog

物語の試作品をあげています。

マヨイガ

 それは荘厳な宮殿だった。かつて祖父が村民で初めて訪れたという,琉球首里城とは,もしかしたらこのような城だったのかもしれない。しかし,ひと一人通れるほど開いた青銅色の門は,その自分の知らない日本の南の地にある城にもあったのだろうかと訝しむほど,あまりに巨大であった。

 奇妙な文字が,金属の扉のうえに浮き彫りにされている。仏教だろうか。それとも,密教の類だろうか。文字それ自体は,どこかで見たことがあるような気もする。どこまでも青い空めがけてそびえる扉を前に,尾見はどうしても人心地がしなかった。

 このような場所に,なぜ来てしまったのだろう。先ほどから何度見回すも,あたかも透明な通路から出てきたように,ここへ通ずるはずの「入口」はどこにも見当たらない。あるいは,自分が出て来ると同時に,消えてしまったのだろうか。

 そろりと,開いた青銅の扉の間から身を入れる。「あのお。あのお。すみません。」と呼ばわるが,この広大な,しかし,誰一人見当たらない宮殿から,応える声はない。音もしない。空は気味が悪いほどに,微塵の雲もなく,どこまでも青く澄みきっている。赤土が混ざっているのか,赤茶の色の地面を,踏みしめつつ,当て所なく歩みゆく。

 ——尾見の祖父の父,彼から見るなら曽祖父に当たる人物は,いわゆる「神隠し」に遭ったのだそうだ。祖父,つまり息子をもうけ,家の近くに自らの田圃を手に入れ,さて初めての収穫というときに,忽然としてその姿が見えなくなったという。

 「ちょうどお前くらいの年端じゃったろうて。その年の夏に起きた地割れで,地所を失ったり,畑を陥没させる者が多く出たなか,うちは不思議と災害から免れた。それは羨ましがられたものじゃ。隣の家が潰れたのに,なぜにうちだけ無事かろうとな。子供ながらに,ワシも周りから羨ましがられたわい。」

 しかし,それは別の災厄の前触れだったのかもしれない。

 災害を免れて,祖父の父,謙之介は,近隣の羨望の目にさらされていた。もっとも,それは無垢なる「僻み」ではない。助け合いを信条とする寄り合いにあって,潜在的にそうした感情があったとしても,それは黙して語られることはない。明日は我が身の災害,幸運はまさに神の恵みに等しいからだ。

 そんな折のことだった。「村役目」として,地割れた田畑への土運びが,終わって一息つき,共同の作業を再開しようとした。他の者が腰や肩をさすりながら,集会場へ集まる。しかし,いつまで待とうとも謙之介ひとりは来なかった。戦前のこととて,また,寒村のこととて,「サボタージュ」を疑う者はいなかったが,待てど暮らせど,謙之介は現れなかった。

 仮に村役目を「放棄」などすれば,羨望はたちまちに僻みへ変じたことだろう。持てる者がひっそりと「羨まれる」のは,昔とて変わりはない。ましてや,収穫量は減りこそすれ,増えるのがなかなか望めない山間地域では,熾火(おきび)のように,妬みは火柱をあげずに静かに熱を帯び続ける。

 「うちの主人を知らんですかね。昼過ぎまで役目に出てたんですが。」と謙之介の妻は,奥早のそれほど多くはない家屋を,一つひとつその戸を叩いて回ったという。むろん,村役目に供出された家も。地蔵盆ひとつとっても,今でいう婦人会の結束は固く,ゆえに女という縛りも制約も厳しかった。ましてや勝手がまかり通る時代ではなかった。

 そして,それでも成果がないと分かると,川を越えた向かいの山の斜面を登ったそうだ。女手ひとつで。今と違い,「よばひ」が大手を振るい,山賊も出たという。曽祖母の覚悟はひとかたならなかったろう。

 その覚悟のかいあってか,奥早の若衆が山狩りを組織し,奥井村との村境まで徹底的に捜索した。宵まで探したが,痕跡はおろか,何の手掛かりも見つからなかった。謙之介は「神隠し」に遭っただろうということに決まった。現実は残酷だ。その頃には,稲刈りまで残すところ一月(ひとつき)を切っていた。

 「ところが」と祖父は続けた。「今の「寄り合い」と同じく,助け合いの精神が発揮されたのじゃ。」不可思議な失踪もあいまって,その精神は助長され,けっきょく,尾見家の田圃の稲刈りから脱穀まで,皆が当番制をしいて援助したという。もちろん,見返りは,地割れを免れて訪れた,豊作からまかなわれた。——

 唐突に曽祖父のことを思い出したのは,自分がこのような場所に,明らかに場違いな場所に,迷い込んだからだろう。もしかしたら謙之介翁も,どこかに迷い込んでしまい,そこから抜け出ようにも,抜け出られなくなったからでは。しかし。

 そうなのだ。今,「抜け出られない」のは,奥早村にいる自分を含め,村民すべて,そして「作業場」に詰めている面々も,また同じ境遇に陥っている。彼らも,我々も,その意味で言うならば,奥早という不可思議な場所に「迷い込んだ」も同然だ。ただ,とはいえ,その迷い込んでいる当の自分が,さらに別の場で彷徨うことになろうとは。

 「尾見さんは,どうしてぼくに「作業場」のことを教えてくれたのですか。」あの糸巻という青年は,自分になんら臆すことなく尋ねた。「作業場」とは名ばかり。折口村長から「そのように伝える」旨を言付けられたにすぎない。糸巻のような青年から中年まで,奥早に迷い込んできた。しかも,皆が皆,記憶を失っている。あの青年を除いて。いや,折口村長も除いてか。彼らは特別なのだろうか。

 しかし,折口村長は何を考えて,あのような言付けをされたのだろう。「あの事態」がなければ,村長たる資格すら怪しい。そもそも白貫のお婆さんが,介添えをしなければ,あんな余所者が村長におさまることなど,なかっただろうに。まったく解せない。そして,解せないといえば,折口が村長におさまってから,「あの事態」は急展開を迎えた。どのような因果なのだろうか。

 朱塗りの,鎧戸のない高床の,神殿のような建物が,探索する間,視界に数棟つねに現れている。これは,昔まだテレビが映っていた頃に見たことがある,あの広島の。そう,宮島の厳島神社のようだ。もっとも,こちらは間仕切りに障子の襖などが用いられ,海や水は無いようだが。——いやまて,あれは泉か,かなり大きい池状の泉が見えてくる。

 尾見は制止する者もないので,いや,制止されるのを心待ちにするように,その泉に足早に近づく。

 うむ,この香りは何だろう。金木犀のようでもあり,もう少し軽やかな甘い香りがする。それに,これは水の音だろうか。こぽこぽと音がする。

 尾見の目の前に,朱塗りの神殿の間にぽっかりと,広い空間が開けた。周りを大きな石が,山がまったく見えないここでは,どこから切り出したのかまったく分からない石が,泉を囲っている。そのなかに,透明な,水をそのまま花弁にしたような花が咲いている。花は栽培も手がけた経験があるが,このような花は見たことも聞いたこともない。

 そして,その花びらの面からは,先ほどのコポコポという,泉が湧くような音がする。不思議だな,これが「神隠し」なら,すべて納得がゆくのだが。ともあれ,これだけの神殿に人ひとり見当たらないのは,さすがに合点がいかない。今しばらく歩き回ってみるか。

 尾見は地下足袋で歩きながら,ふと考えた。これらの建物一つひとつが,何らかの「間」であるとして,どうして,すべては繋がってないのだろう。なぜ,ひとつの棟から棟へ移る時に,いちいち下に降りなければならない造りになっているのだろう。最初から,すべての棟を繋げておけば良いものだろうに。

 たとえば,向こうの渡り廊下から,こちらへ来て,後ろの建物に行くには,少なくとも一度は土を踏まねばならない。わざわざ,履物を替えたのか,それとも土がついたままで,神殿に踏み入ったのか。これだけの建築技術があるのに,意外なところに不便さを残すとは,これまた不思議だ。

 あらかた歩いて回ったが,どうにもしようがない。外にいては埒があかないようだ。

 ここがどのような場所なのか納得もいかないまま,しかし,外観から,日本と通じるところがあると見た尾見は,地下足袋のフックをはずして,階段状の下に揃えると,ひとつの棟にあがって行った。——

 「おい,尾見のとっつあん。なんでまた,ずっと足袋を履いてるんだい。不便だろ。今はねえ,こういう「おしゃれな」長靴が流行ってるんだよ。単なる長靴とは違うよ。ほれ,膝まで上がるから,苗代には入れるし,川で鍬もコンテナも洗えるんだよ。」

 若頭の田上が,新しい長靴を自慢して見せたのも,もうずっと前のことのように思える。あの頃は,まだ奥早から出ることが出来たし,孫の顔を見に行くこともできた。だが,俺はずっとこの足袋で野良仕事をしてきた。奥井でコンバインが導入されても,奥早では,この手で,鎌を持って稲を刈ってきたのだ。

 すべてを新しい道具や技術に任せるのは容易い。しかし,古い物を守ることも大事ではないだろうか。そう,あのような寒村であっても,田畑を,土を大事にするように。——

 おや。

 今まで考えなかった分,積もりに積もった想念を,ひとつずつ片付けていた尾見の前に,ゆらゆらとうごめく影が現れていた。嫌な感じはしない。若者か。薄い緑色の衣装。腰に帯を巻いている。手には,卍模様と,その逆さまになった卍の模様が合わさった,平安時代の貴族が手にしているようなものを持っている。

 このような場所に,いかにもふさわしい風貌だが,やはりこの世の者ではないのだろうな。

 その影が音にならない声を,尾見の頭の中に響かせた。

 「あなたは,測量士様の言われる第七世界の方とお見受けします。」

 測量士。第七世界。突然に何のことか。そういうあんたは,何者なのだ。

 「いえ,ご心配なさらぬよう。私は,この第八世界の「地」に仕えるオミ,名はシと申します。あなたとは,私どもが志したのではない縁(えにし)で結ばれているようです。あなたの,いえ,まあ宜しいでしょう。」

 オミ。まさか,偶然か。それとも,これも「神隠し」の一部なのだろうか。夢ということはあるまい。何せ,色を見,香りを嗅ぎ,触感を得て,こうして反省までもできるのであるから。

 目の前の影は,尾見が考えているのに構わず続ける。

 「このような影であっては,意が通ずるのもままならぬというもの。まこと,測量士様の仰せの通りにございます。目に見て触れ,それと認めるのは,地が変われども変わらなきはず。如何でしょう,こうして居られても詮方なきと存じます。まずは付いてきてもらえませぬか。」

 そう声は響きながら,影はすでに先を行こうとする。待っていただけないか,と言う間もなく,尾見はその影に付いていく。

 影は渡り廊下の途中で,右手の襖を開けた。中は畳張りではなく,カンナが丁寧にかけられたと思われる板が張ってある。檜(ひのき)とも違う,独特の強い香りがする。杉の一種だとは思われるのだが。そのうえに経帷子のような,透ける白布が敷かれている。

 その一間の奥にある扉が目を引いた。やはり朱塗りの,観音開きの扉だが,この間(ま)の素っ気なさとはかなり対照的だ。そして,左右の扉の中心に,それぞれ金で,漆と器の文字が,胴体ほどの大きさで描かれている。合わせて「漆器」か。どうしてそのような文字が。何かの呪い(まじない)だろうか。

 オミが横に立ち,扉を開けるよう促しているようだ。自分で開けろということか。

 「さあ,お開けくだされ。後ほど解きますが,今は何もきかずにお開けくだされ。」

 ええい,ままよ,と尾見は引き手をそれぞれ持って,引こうとした。しかし,それは木製とは思えないほど,重量があった。後方に勢いをつけて,ようやく左右の扉がゆっくりと開いた。

 開けてみて,外の金文字の意味が了解された。まさに文字通り,ここには無数の漆器が,棚に,あの透ける布のうえに,ありとあらゆる場所にとり置かれている。形状は少しずつ異なるが,すべて朱と黒の漆器であるようだ。一目見て,その物の良さは自分のような素人でもそれと見て分かる。しかし,これだけの数が揃えてあるとは。

 漆器に圧倒されている尾見の背後から,影が語りかける。

 「これは,私ども宮仕えの者が用いる物ではございませぬ。あなたのように,「迷い」によりてこの地に参りし者のためにございます。どうか,ひとつ椀をお取りくださいませ。」

 いや,そういうわけにはいかない。そもそも,どうして私はここに来ているのだ,いや,ここは一体どこなのだ。

 物の怪の類に,何かをもらい受けなどすれば,後で何が起きるか知れたものではない。くわばらくわばら。尾見は,それと知らずに,自分が踏んでいた白い透き通った布から,足を退けた。

 影は尾見の反応を予期していたようで,声の調子を和らげて続けた。

 「あなたが知らぬものを恐れしは無理なきこと。私とて,知らぬものは恐れまする。然れども,あなたの地には,かような「迷い」は述べ伝えられておるようにござります。これを耳にし,判じ得ますれば宜しきかと存じまする。」

 絵巻を読むような調子で影は語る。——

 訝しけれど門の中に入りて見るに,大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば,牛小屋ありて牛多くおり,馬舎(うまや)ありて馬多くおれども,一向に人はおらず。ついに玄関より上がりたるに,その次の間には朱と黒との膳椀をあまた取り出したり。——

 うむ,それは。尾見が尋ねようとするが,影は手でそれを制して続ける。——

 奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されどもついに人影はなければ,もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり,駆け出して家に帰りたり。この事を人に語れども実(まこと)と思う者もなかりしが,また或る日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに,川上より赤き椀ひとつ流れてきたり。——

 「宜しいですか,かくあるは,あなたの地での述べ伝えにて,私どもの地の述べ伝えではありませぬ。逃げ帰りし女は,その赤き椀を拾い,それにて穀を計ったそうでございます。いくら計れども穀が減らない事から,家人の知るところとなりましたが,これ宝物として大事にされしは,解くまでもないと存じます。」

神隠し譚であろうか。たしかに同じような言い伝えは,どこかで聞いた事がある。蕗を採りに山へ入った女が,良い蕗,良い蕗と山深く入り,そうした場所に出た。うむ,そういえば,かくいう私も山菜採りで村の果てに入った。それでか。しかし,なぜその椀が川から。

 したりとばかりに,影はこの言い伝えを解いてみせた。——

 山中の不思議なる家をマヨイガという。マヨイガに行き当りたる者は,必ずその家の内の什器(じゅうき)家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けん(さずけん)がためにかかる家をば見するなり。女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしが故に,この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。——

 「さて如何。これもても恐れられまするか。こなたは天に浮かびし宮にて,怪しの類にはございませぬ。あなたの地に述べ伝えられしがひとつ,そがこれにございます。」

 影が説いた話は,浮かべる微笑は,なるほど物の怪などではないと見える。しかし,この話と現状は,幾つかの部分が異なる。例えば,誰にも会わないところなど。

 「述べ伝えしは,その女誰とも会わず,何にも触れず,元の地へ帰りしとあります。誰とも会わず,これが至極肝要なりとは思いまする。なれど,此度は,この地が因となり,彼の地に影響を及ぼし故,それと知りながら,この身を表させていただきました。尤も,この地の理とて,影にて失礼いたしておりますが。」

 黙っていても考えを読み取られるか。それならば。まだ不信感がすべてぬぐい切れたわけではない。が,尾見は観念して素直に尋ねることにした。

 そのマヨイガという神の恩恵に似たものは,納得しました。あなたが,なんらかの事情で姿,いえ,影で現れたのも頭では理解しました。ですが,「この地」とか「彼の地」,あと,その第何とか世界というのは何でしょうか。

 「この地とは,第八世界にして,只今あなたが在りし処にございます。彼の地とは,第七世界にして,常々あなたが在りし処にございます。測量士様曰く,地は第一より第八まであり,違いて交わらざりしと。然れども,この地に異変起こりて,あなたの地に作用を及ぼししと。」

 つまり,世界は複数にあって,普通ならば互いに影響関係にはない。しかし,そちらの世界に異変が起きて,私たちの世界に影響を及ぼした,ということですか。

 然り,と影はひとつ頷く。

 にわかに理解し難いが,このような場所に足を踏み入れてみては,すべてを迷妄として捨て去る方が理屈に合わない。事実,こうして揺れる影と私は話をし,それを考えているのだから。

 では,どうして他の誰かではなく,私が選ばれたのでしょう。それに,あなたのお話では,お椀をひとつ渡せば済むような,単純なものではないと思いますが。

 吉祥の品物を授けるのが,マヨイガの話の根本だとすれば,世界の影響関係云々はまったく別物であろう。尾見は答えを探るように,影を見やる。

 「先に申し上げたごとく,あなたは尾見にて,この地の私オミと,離れながらにして,交わる処があると測量士様は申し上げられました。かつて我が曽祖父ありし刻,一人の男この地に入りし。その者オミと声を同じうし,故にこの地にとどめ置き,吉祥は別様にて与えんと。」

 そ,それは,まさか。私の曽祖父のことなのか。尾見謙之介のことか。

 影は申し訳なさそうな表情を見せ,言葉を継いだ。

 「マヨイガとは,交わることなき二つの地が,理のいたずらにて時おり交わる事態の謂でございます。あなたの曽祖父君は,この地に「迷い」,何の働きあってか,この地にとどめ置かれました。その代(しろ)は,あなたの世まで尾見に続きしと聞いておりまする。」

 それで尾見家は,謙之介の「神隠し」以来,悲劇と裏腹に栄えてきたわけか。それで,あの曽祖父は。

 「この地にて安らかなる余生を送りしとのことにござります。」

 曽祖父のことは,ずいぶん昔の,聞いただけの存在だったが,この影の言う不思議な「縁」を実感した。恥ずかしながら,涙が溢れてきた。曽祖父が幸せな最期を迎えたのなら良かった。

 影もその縁を再確認するかのように,優しい表情に戻った。

 「さて,事はかようの運びとなれば,あなたが故に,ここに「迷い」に入ってもらったことはご承知おきいただけたと存じます。そのうえで,あなたに改めて乞いたいと存じます。」

 そう影は今度は深刻な口調で告げ,その願いを話した。もちろん,事情がわかった今となっては,断る理由はない。

 この世界のオミとは,「使い」を意味するのだそうだ。可能であれば,彼本人がこちらの世界に「使い」として顕現したいのだが,「理」(それは,因果のようなものだろうか)がそれを許さない。だから,不可思議な交わりのあったこちらの尾見にその役割を頼みたいのだという。

 「然るべき刻,然るべき会(え)にて,あなたをして,第七世界の門を繋いでもらいたいと存じます。但し,繋げるとはいえ,あなたがそれを担うのではありません。あなたは,徹頭徹尾「導き手」にすぎません。繋ぎを担うのは,折口と糸巻,二人の「遅きに来たりし者」です。」

 折口,つまり,村長と,あの糸巻という青年が,「門を繋ぐ」。門とは。そして,「遅きに来たりし者」とは。これでは謎が多すぎる。どうやって導くというのか。そもそも何を導いたら良いのだろう。

 影は当然その困惑を予期していたと見え,大事なことを簡単に伝えた。

 「判じ得ぬもの多きは,止むを得ぬと存じます。何とまれ,折口某と糸巻某が門を閉じる宿世(すくせ)にあるが肝要。あなたは,こなたより椀を持ち帰り,然るべき者に渡せば宜しいのでございます。然るべき者も,いずれ判じまする。」

 そう言われてしまえば,首肯するしかない。

 「さすれば,彼の地で起きし異変も収束せん。測量士様はそう断じられました。地の怒り,神隠し,なべて元に戻り得ましょう。」

 奥早で起きている異常事態が,あれが,元に戻るというのか。これも,信じ難いが,これ以上手をこまねいていても仕方あるまい。ここは「狐につままれた」としても,何もしないで諦めるよりはずっと良いだろう。

 分かりました。とにかく,あなたの言うことを信じます。曽祖父のこともありますし。さて,それで持ち帰る椀とは,どちらにあるのでしょうか。

 「そも導き手に係ること故,あなたが自らの手でお選び召されよ,とのことにござりまする。」

 選べと言われても,これだけの椀を目の前にして,ひとつ選ぶのは至難の技だ。しかも,その選択が世界の異変に係るのだ。まいった,これは。と,とりあえず物を確かめようと,ひとつを試しに手に取ってみた。

 すうっと漆塗りが手のひらに吸いつくのを感じた。これでは,まるで自分を選べと言わんばかりではないか。どれ,他の物は,と手を伸ばそうとしたが,体に痺れが走ったように,その手が動かなかった。これは。

 影は己の意志のまま,感じるままにと,視線で促しているようだった。

 ええい,ままよとばかり,右手に持った椀を影に差し出した。

 差し出された椀を一目見たオミは,「なるほど,これまた測量士のご推察通り。彼の地を選ぼうとは。」と微笑んで見せた。

 どういうことかと,今しばらく確かめようと,ふと椀を裏返して驚いた。そこには,奥早と金文字で描かれていた。

 

 *なお,物語の執筆にあたり,柳田国男遠野物語・山の人生』(岩波文庫)を適宜参考にし,引用しました。